迷探偵が多すぎる

 6月27日の産経新聞を読んでたら「松本サリン事件から20年」という記事が載っていた。そうか、もう20年も前になるんだ。

 当時、犯人の疑いをかけられた河野義行氏の家には、嫌がらせの電話がひっきりなしにかかってきたという。

 あの事件で、僕はいまだに忘れられないことがある。

 ある晩遅く(確か12時ぐらいだった)、知り合いのX氏(イニシャル書いちゃうと誰だか特定されるので、あえてXにする)から電話がかかってきた。科学に詳しいという定評のある人物である。

「あの会社員(河野氏)が犯人です。間違いありません」

 何でも、河野氏が所有していたという薬品(当時、マスコミで報道されていた)を調べてみたら、それらを原料にサリンが作れることを発見したというのだ。それで河野氏が犯人に違いないと確信したのだそうだ。

「彼を釈放しちゃいけません。自由になったら、きっとまたやります」

 そう力説するX氏。

 いや、でも、仮にそれが事実だとして、僕にどうしろと?

 X氏は、河野氏が面白半分に毒ガスを作る異常性格者だと思っていたようだ。うーん、でも、そんなことを真夜中に僕に電話で長時間、力説するのも、決して常識的な行為とは言えないと思うのだが?

 きっと、薬品からサリンが作れることを発見して、舞い上がっちゃったんだろうなあ。真夜中にもかかわらず、誰かに伝えたくてたまらなくなったのだろう。さすがにパソコン通信の会議室とかに書きこむのはまずいから、オフレコで僕に話したということか。

 ちなみに、河野氏が所有していた農薬からはサリンは作れないとされており、「サリンができる」というのはX氏の勘違いであった可能性が高い。

 翌年、地下鉄サリン事件が起きて、松本サリン事件もオウム真理教のしわざだったことが判明した。河野氏は無実だったのだ。

 その後、某所で会った時に、X氏は僕が「オウムに狙われるかもしれない」と言い出した。当時、僕はオウムを批判する発言をしていたので、彼らの暗殺リストに載っていてもおかしくない、襲撃を警戒して自宅のセキュリティを強化すべきだ、と言うのだ。

 そんな大げさな、と笑い飛ばしたら、X氏は怒り出した。「私が真剣にあなたのことを心配してるというのに分からないのか!?」と。

 もちろん、僕が笑ったのは、1年前のX氏の推理が大ハズレだったことを思い出していたからなのだが。

 さて、松本サリン事件について検索していたら、何と西岡昌紀氏のブログがヒットした。1995年、「ナチ『ガス室』はなかった」という記事を書いて、『マルコ・ポーロ』廃刊のきっかけを作った人だ。当時、僕も『宝島30』誌上で、西岡氏の記事の間違い(信じられないような資料の誤読や、科学的間違いが何箇所もあった)を指摘したことがある。おかげで何年も、ネット上で西岡氏にからまれ続けた(笑)。

 その西岡氏によると、当時、朝日新聞のQという記者がこんなことを言っていたというのだ。

http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/7359880.html

>「松本と言ふ所は、日本海に近いでしょう。だから、日本海側から日本に侵入した北朝鮮工作員が、先ずは潜伏する場所として、格好の町なんです。だから、北朝鮮工作員が多いんです。それで、松本でもローラー作戦が有ったんです。私が思ふには、そのローラー作戦が行なはれた際に、松本に居る北朝鮮工作員が、隠して居たサリンを処分したんだと思ひます。サリンは、加水分解するんです。だから、水と反応させるのが、一番いい処分の方法なんです。多分、それで、あの池にサリンを捨てたんですね。ところが、量が多すぎて、処分しきれず、あんな事件に成ってしまったんだと思ひます。」

 松本のどこが「日本海に近い」ねん!? 長野県のどまん中やろが! 日本地図見て喋れよ!

 さすがに新聞記者が日本の地理を知らないとは信じがたい。もちろん、たとえそんなことを言ったとしても、オフレコだろうから証拠なんか残っていまい。僕としては、西岡氏の記憶違いじゃないのかという気がひしひしとする。

 それに対する西岡氏の感想はというと、

>しかし、数年後、ふと、こんな考えが頭に浮かびました。

>「もし、オウム真理教が、北朝鮮と連携して居たとしたら、Qさんの言った事は、あながち外れて居なかったのではないか?・・・」

 いや、はずれてますから完璧に! どうしようもないぐらいに! 

 松本サリン事件については、マスコミの誤報ばかりが糾弾されている。しかし、河野さんの蒙った精神的被害の責任は、マスコミにだけあるのではないことも忘れてはいけない。当時、巷でも、自分の迷推理を披露する者は大勢いたのだ。

 そして、こうしたことは今でも起きている。いや、ネットが普及した分、誰かの思いついた迷推理が拡散するのも早い。

「“みんなが“結婚した方がいいんじゃないか」は空耳だったようです

http://togetter.com/li/683904

 塩村文夏都議へのヤジ問題。「自分が早く結婚したほうがいいんじゃないか」というのは間違いで、本当は「みんなが結婚したほうがいいんじゃないか」と言っていたんだよ! という説が2ちゃんねるに載り、それを保守速報が取り上げたことで拡散。「NHKによる捏造だ!」と盛り上がる。

 さらには「みんなが」というのは「みんなの党が」という意味だという超絶解釈まで登場。

 その後、ヤジを飛ばした鈴木章浩議員自身が「早く結婚したほうがいいんじゃないか」と言ったことを認めた。「みんなが」は空耳だったのだ。

 にもかかわらず、なおも「みんなが」説に固執する者が何人もいる。

 やっぱり、「真実」に気づいてしまった者は、舞い上がってしまうものらしい。その「真実」が本当に真実かどうか確認しようとせず、拡散したくなってしまうんだろう。

 当たり前の話だけど、現実世界には名探偵なんていない。

 ミステリの世界みたいに、複雑なトリックを駆使する犯罪者がいないってこともあるけど、やっぱりホームズみたいに聡明な人間はめったにいないってことなんだろう。

 で、本当に聡明な人間は、たいした根拠もなしに自分の推理を「これが真実だ!」と拡散したりはしない。実験や調査や統計で確かめられた事実しか述べないか、あるいは推理を披露する時でも、「間違っているかもしれないけど」と、慎重に提示する。

 つまりネット上で、「これが真実だ!」と自信たっぷりに言っている連中の大半は、名探偵じゃなく迷探偵なのだ。ミステリでは、とんちんかんな推理を述べて、捜査を混乱させる役割である。

 特に迷探偵が多く湧くのは陰謀論である。

 911陰謀説、アポロ陰謀説、神州7号陰謀説、「イルミナティ・カード」陰謀説、「ちきゅう」陰謀説……どれもそうだ。根本的に探偵に向かない人間が、まったく非論理的な推理を展開している。

 たとえば911陰謀説。陰謀論者によれば、ペンタゴンに突入したのはアメリカン航空77便のボーイング757型機ではなく巡航ミサイルなのだという。本物のアメリカン航空77便はどこかの飛行場にこっそり下ろされ、乗員乗客は殺害されて、死体をばらばらにされて焼かれ、それがペンタゴンに持ちこまれてばらまかれたのだという。

 何でやねん!

 ボーイング757型機やなくて巡航ミサイルが飛んできたんやったら、大勢の人間に目撃されてしまうやろ!?

 どこかの飛行場にこっそり下ろすなんてできひんやろ!? ボーイング757みたいな大きな旅客機が降りられる飛行場がいくつあるの? そこに墜落したはずの旅客機が着陸したら、大勢の人が目撃してしまうやろ?

 誰が乗員乗客を殺害したの? 「無辜の一般市民を殺害してばらばらにしろ」なんて命令を出されて、はいそうですかと全員が忠実に従うの?

 大勢の消防隊員や救急隊員が駆けつけてきてる現場で、こっそりバラバラ死体をばらまくなんてどうやってできるの?

 そんなことするぐらいやったら、素直に旅客機ぶつけた方が早くない?

 巡航ミサイルを使う理由、どこにもないよね?

 いや、そもそもアメリカ政府の自作自演の陰謀やとしたら、ペンタゴンを攻撃する理由ないよね? ニューヨークでテロ起こしたら十分なんとちゃうの?

 実際、ペンタゴンへの突入の瞬間を目撃した人は何十人もいるが、巡航ミサイルだったと言っている人間は一人もいない。たとえば目撃者の一人、USA Todayのマイク・ウォルターはこう証言している。

「窓の外を見ると飛行機が見えた、それはジェット機だった、アメリカン航空のジェットがやってくる。そして「何かがおかしい。すごい低空飛行だ」と思った。そして私は見た。まるで翼のついた巡航ミサイルのようだった。まっすぐ飛んで行ってペンタゴンに突入した」

 陰謀論者はウォルターの証言の中から「まるで翼のついた巡航ミサイルのようだった」という比喩表現を切り取って、ミサイルだった証拠だとしているのだ。

 だいたい常識で考えれば分かる。ペンタゴンの周囲には道路もあるし街もある。事件が起きたのは午前9時38分。車で偶然、通りかかる人も多いはずだ。突入の瞬間は大勢の人が目撃するに決まっている。一人でも「あれは巡航ミサイルだった」と証言したら、陰謀は瓦解するのである。

 そんなアホなこと、誰がやるか。

 他の陰謀論も同じである。

 たとえば「イルミナティ・カード」陰謀説。いったいどこの陰謀組織が、自分たちの計画している陰謀をあらかじめゲームにして発売するというのか? そんなことをする動機がないだろう。

 僕の知る限り、「イルミナティ・カード」陰謀説を唱えている者の中に、スティーヴ・ジャクスン・ゲームズについての正しい知識を持っている者は一人もいない。

「ちきゅう」陰謀説神州7号陰謀説もそう。初歩的な知識もない人間が迷推理を得意げに披露している。

 なぜ迷探偵がこんなにも多いのか?

 決まっている。名探偵気分を味わえるのが楽しいからだ。

 推理する事件は、大きければ大きいほどいい。特に911同時多発テロとか東日本大震災のような大きな事件なら、「俺は今まさに国際的な大陰謀を暴いている!」という高揚感を味わえる。自分が天才になったと思いこめる。 あいにくとそれは、まったく話にならない迷推理なのだが。

 そして彼らは、自分の迷推理が誰かに対する誹謗中傷であり、その人に迷惑をかけて苦しめるかもしれないとは想像もしない。

 中には迷推理すらせず、何の証拠なしに「犯人は○○だ!」と決めつける奴もいる。迷探偵ですらない奴をどう呼べばいいのか、僕には分からない。