【訃報】柴野拓美氏

 日本SF界の影の功労者と呼ぶべき柴野拓美小隅黎)氏が、16日、肺炎のために亡くなられた。83歳。

 一昨年、自宅にインタビューにうかがった時には、もう目が悪くなっていたものの、喋り方ははっきりしていて、まだまだお元気のように見えたのだが。記憶もかなり確かで、貴重な逸話をたくさんうかがうことができた。

 この方がどれほど偉大な業績を残したか、昨年出した同人誌『僕らを育てたSFのすごい人 柴野拓美インタビュー』のまえがきから抜粋しよう。

 世の中にはすごい人がいる。

 たとえば手塚治虫石ノ森章太郎なんていう人は、作品の点数だけ見ても目がくらむ。一生のうちによくぞこれだけの作品を、水準を維持して書き続けられたものだと、ため息が出る。

 SF界でも、たとえば小松左京とか筒井康隆とか星新一とかいった人たちは、膨大な数の作品を書いている。すべてが傑作ではないにしても、高い割合で傑作が含まれていることに驚く。まさに偉大。自分の書いてきた作品数と比べて、「この先、いくらあがいても、この人たちには絶対追いつけない」と、絶望に近い心境にかられる。

 作品以外でも、初期のSF界には偉大な業績を残した人がいる。

 それがこの柴野拓美氏だ。

 柴野氏は1926年、石川県生まれ。1957年、日本初のSF同人誌『宇宙塵』を主宰、その編集に携わった。驚くべきことにこの同人誌、57年5月の創刊号から72年12月の170号まで、途中で何回か抜けはあったものの、15年以上も、ほぼ毎月出ていたのである(現在では柴野氏は退かれ、発行ペースは落ちているものの、1〜2年に一度は新しい号が出ている)。

 これだけでも信じられない話である。いったい今、月刊で同人誌を出せる人なんているだろうか?

 掲載作品も優れていた。小松左京星新一筒井康隆平井和正眉村卓光瀬龍豊田有恒今日泊亜蘭広瀬正石原藤夫半村良山野浩一横田順彌梶尾真治山田正紀田中光二夢枕獏……日本を代表するSF作家の多くが、アマチュア時代あるいは無名時代に、一度は『宇宙塵』に寄稿したことがあるのだ。『宇宙塵』に作品が掲載されたことがきっかけでプロデビューした人も何人もいる。他にも、野田昌宏長谷邦夫荒俣宏辻真先荒巻義雄宮武一貴といったのちの有名人も、小説やエッセイや論文を寄稿している。

宇宙塵』はプロへの登竜門であり、当時の日本のSFファンのサロンだった。柴野氏がいなかったら、『宇宙塵』が無かったら、日本SFの人材は今よりずっと貧しいものになっていただろう。

 柴野氏はまた、「小隅黎」というペンネームで、海外SFの翻訳も手がけている。ラリー・ニーヴンハル・クレメント、J・P・ホーガン、アンドレノートン、E・E・スミス……その総数は50冊以上。他にもノンフィクション本の翻訳も何冊もある。

 古いアニメファンなら、「小隅黎」という名前に見覚えがあるのではないだろうか。『科学忍者隊ガッチャマン』『宇宙の騎士テッカマン』などのタツノコアニメで、SF考証を担当していたのも柴野氏なのである。

エイトマン』の原作者である平井和正氏を『少年マガジン』に紹介したのも柴野氏である。また、筒井康隆眉村卓豊田有恒といった『宇宙塵』の作家たちは、『鉄腕アトム』『エイトマン』『スーパージェッター』などのSFアニメの脚本を書いていた。

 日本SF大会をはじめたのも柴野氏である。その中のディーラーズ・ルームでは、日本各地のSF同人サークルがテーブルを並べ、同人誌を売っていた(今も続いている)。

 その日本SF大会を模して開催されたのが、1972年から10回続いた日本漫画大会であり、その日本漫画大会に反発し、そこからディーラーズ・ルームだけを独立させるという発想で生まれたのが、75年から開催されたコミックマーケットである。ちなみに、コミックマーケットの生みの親の一人である故・米澤嘉博氏も、作品こそ発表していないが『宇宙塵』の同人であり、よくSF大会にも参加していた。生前、「コミケSF大会から生まれた」と発言していたという。

 また日本SF大会では、70年代中頃から、ファンによるコスチュームショーが行われ、参加者がSF映画やアニメやファンタジー作品のコスチュームで会場内を歩き回るのも当たり前になっていた。それが日本におけるコスプレの起源である。

 あなたが今、コミケ会場でこれを読んでおられるのだとしたら、周囲を見回していただきたい。同人誌の即売、コスプレ、テレビアニメ、SF小説……柴野氏がいなかったら、これらはみんな存在しなかったか、まったく違った形になっていたかもしれないのだ。

 僕らが子供の頃に見たアニメやマンガ、若い頃に夢中になって読み漁ったSF小説、そして今も参加しているSF大会コミケ……その多くに、柴野氏は間接的に関わっていたのだ。僕らが今ここにいるのは、柴野氏のおかげのようなものだ。

 SF界では知らぬ者のいない柴野氏だが、SF界を一歩離れると、知名度は低い。こんなすごい人なのに、世間に知られていないのが歯痒い。それがこの本を作ろうと考えたきっかけである。

 また、日本SFの創成期についても、知らない人が多いのではないかと思われる。特に50年代の空飛ぶ円盤ブームや、その中で生まれたUFO研究団体が『宇宙塵』誕生の母体であることは、広く認識されているとは言いがたい。

 バタフライ効果と言うべきか。もし1947年にケネス・アーノルドが空飛ぶ円盤を目撃しておらず、円盤ブームが起きなかったら、今の日本のSF・マンガ・アニメの状況は、ずいぶん違っていたはずである。

 僕らがなぜ今ここにいるのか。その意味を問い直すためにも、歴史を見直す必要があると思う。

* 文中では「空飛ぶ円盤」と書いたが、アーノルドが見た飛行物体は「円盤」ではなかったので、「UFO」と書いた方が良かったかもしれない。

 なお、『SFのすごい人』の中でも触れたのだが、『神は沈黙せず』に登場する超常現象研究家の大和田老人は、柴野氏をイメージして書いたことを明らかにしておく。大和田と同じく、いつもにこにこと笑顔を絶やさないが、曲がったことが嫌いで、怒ると怖い人だったそうである(僕は怒ったところは見たことはないが)。

 何にせよ、亡くなられる前にインタビューできたことは光栄だと思っている。