ラジウムだってこわいんだ
少し前、東京都世田谷区弦巻の民家の床下から、ラジウムの瓶が発見されたというニュースが流れた。
最初、近くの路上で異常に高い放射線値が検出された際、多くの専門家は「原発から飛散したものではない」と直感したらしい。いくらホットスポットとかいっても、空から降ってきたものが狭い地域でそんなに高濃度に濃縮されるわけがないからだ。
実際、調べてみたら、ラジウムの入った古い瓶(夜光塗料らしい)が見つかった。
また、世田谷区八幡山のスーパーの敷地でも、最大で毎時170マイクロシーベルトという線量が計測され、これも何か放射性物質が埋まっているのだろうと推測されている。
ところで、このニュースについて書かれたmixi日記をざっと見てみると、おかしなことを書いている人が多いことに気がついた。
まず、陰謀論を唱えている人たち。
「嘘つけー」「情報操作の為に”誰か”が意図的に行った事の様に思うのは私だけ?」「そんなもんが床下に埋まってるわけがない!」「果してそんなに都合よくラジウムなんて物質が出てくるだろうかね?」「誰かが筋書きを書いたものかも?」「茶番劇とはまさにこういうのを言う」「瓶とか政府が置いたんじゃないの?」「こんなの政府側やマスコミ側のやらせとしか思えないんだけど」「これ信じろといわれても信じれないだろ」「でっちあげすぐるだろ」「また政府と東電が捏造」「これを信用しろと?」「ホットスポットの大半はこんなやり方で捏造されたのかもね」「どう考えてもウソかマッチポンプ全開ですね」「自作自演なんじゃないか(笑)」「んな訳ねぇ〜だろ」……などなど。
僕が650件の日記を調べた限りでは、うち28件、約4%が、ラジウム発見のニュースを嘘だと決めつけたり、嘘ではないかと疑っているものだった。
その意図については、政府やマスコミによる隠蔽工作(本当は原発から洩れた放射能なのに、ラジウムだと嘘を言っている)だと思ってる人が多かったが、反原発派の自作自演(放射能の危険を煽るためにわざとラジウムをばらまいている)と解釈してる人も何人かいた。
どっちしても、「そんなわけねーだろ!」と全力でツッコミたくなってしまうが。
ツイッターでも、同様のことをほざいている人が何人もいるようだ。
“世田谷のラジウムは東電の陰謀!”なまとめ
他にも、多かったのがこういうパターンの意見。
・ラジウムなんかがそこらにあるわけがない。
数十年前まで、ラジウムは時計の文字盤などに塗る夜光塗料として広く使われていた。僕の家にも、子供の頃、暗い所で文字盤が光る時計があったが、あれもラジウムだったのだろうと思う。
おそらく、使われなくなった夜光塗料が、日本のあちこちに放置されているのではないだろうか。今までは、わざわざ街の中で放射線を計測しようという人がいなかったため、問題にならなかったのだろう。
・これはテロだ!
何者かが無差別殺人の目的でラジウムを置いたのだという、これも一種の陰謀説。気が長いうえに効果の薄いテロだなあ。
・ラジウムはアルファ線を出すが、アルファ線は紙一枚で止められるはずだから検知できるはずがない。だからラジウムではありえない。
科学知識が中途半端にあると、こういう誤解をする。
確かにラジウム226はアルファ崩壊だが、それが最終的に鉛206となって安定するまでの間に、おもに次のような崩壊系列をたどるのである。
ラジウム226(半減期1600年)⇒ラドン222(半減期3.8日)⇒ポロニウム218(半減期3.1分)⇒鉛214(半減期27分)→ビスマス214(半減期20分)→ポロニウム214(半減期160マイクロ秒)⇒鉛210(半減期22年)→ビスマス210(半減期5日)→ポロニウム210(半減期140日)⇒鉛206
このように、ラジウムから生まれる放射性同位元素は、アルファ崩壊もしているしベータ崩壊もしている。もちろんガンマ線も出している。アルファ線は瓶で遮られても、それらは洩れ出してくるのだ。また、瓶にひびが入っていたり、蓋がゆるんでいたりしたら、ラドンがガスとなって洩れていた可能性もある。
・この家に50年も住んでいた女性が死んでいないというとは、放射線が安全であることが立証されたことになる。
いや、年に30ミリシーベルトぐらいの被曝量だと、1年間にがんで死ぬ確率が0.1%増えるかどうかってところなんですが。 (771さんの指摘を受けて訂正いたしました)
つーか、たった1例をサンプルとして論じられてもなあ。
もしこの人ががんで亡くなってたら(高齢者だから、放射線に関係なく、がんで死ぬ可能性は高いのだが)「放射線は危険だ」ってことになるんですか?
僕がいちばん気になったのは、こういう意見である。
いやいやいやwwwwww
ほっとするなよ。「原発から出たセシウムなら危険だけどラジウムなら安全」なんてことはないから!
よく誤解している人がいるが、シーベルトというのは放射線の絶対的な量の単位ではなく、人体に与える影響を表わす単位である。たとえば「毎時100マイクロシーベルト」と言ったら、それがセシウムから出たものだろうがラジウムから出たものだろうが、はたまたプルトニウムから出たものだろうが、人体に及ぼす影響は同じなのだ。
ラジウムの場合、危険なのは外部被曝ではなく内部被曝である。そこで、内部被曝の影響がどれぐらいなのか、他の物質と比較してみよう。
よくニュースで「ベクレル」という単位が出てくるが、これは放射性元素が1秒間にどれだけ崩壊するかを示すものである。しかし、放射線の種類と強さ、その物質が体内にどれぐらい蓄積するかによって、同じベクレルでも生体に与える影響(シーベルト)はまったく違う。
その違いを表わしたのが「実効線量係数」という数値である。ベクレルに実効線量係数を掛けるとシーベルトが求められる。これはとても簡単な計算なので、覚えておいた方がいい。
放射性元素に関するデータは、原子力資料情報室というサイト(ちなみに反原発系のサイトである)のものが分かりやすくまとまっているので、いつも参考にさせていただいている。
http://www.cnic.jp/modules/radioactivity/index.php/1.html
さて、実効線量係数そのままだと、直感的に分かりにくいので、仮に100万ベクレルを摂取したとして、いろいろな放射性元素の内部被曝の影響を比較してみた。(なお、100万ベクレルというのは、よほど高濃度の汚染地域でないと摂取しない量であることをお断りしておく)
●炭素14
吸入摂取 0.0065ミリシーベルト
経口摂取 0.58ミリシーベルト
●カリウム40
吸入摂取 3.0ミリシーベルト
経口摂取 6.2ミリシーベルト
●セシウム134
吸入摂取 9.6ミリシーベルト
経口摂取 19ミリシーベルト
●セシウム137
吸入摂取 6.7ミリシーベルト
経口摂取 13ミリシーベルト
●ラドン222
吸入摂取 6.5ミリシーベルト
(気体なので経口摂取はない)
吸入摂取 2200ミリシーベルト
経口摂取 280ミリシーベルト
●プルトニウム238(不溶性の酸化物の場合)
吸入摂取 11000ミリシーベルト
経口摂取 8.8ミリシーベルト
●プルトニウム239(不溶性の酸化物の場合)
吸入摂取 8300ミリシーベルト
経口摂取 9.0ミリシーベルト
(いずれも100万ベクレル摂取した場合の被曝量)
ご覧の通りだ。同じ100万ベクレルでも、ラジウムによる被曝量は、セシウムより桁違いに高い!
プルトニウムと比較すると、吸入摂取ではプルトニウムの被曝量の方が大きいが、経口摂取ではラジウムの方がずっと大きい。プルトニウムが生体に必要のない元素であるのに対し、ラジウムはマグネシウムやカルシウムと同じアルカリ土類元素なので、間違って生体に吸収されてしまうかららしい。
セシウムなどと比べて影響が大きいのは、アルファ線を出すからである。先にも書いたように、アルファ線は紙一枚で防げるから、外部から当たっても皮膚の表面で止まってしまう。ところが体内に入ると内側から被曝するから危険なのである。
ラドン222もアルファ崩壊だが、これは気体なので、吸いこんでも肺からすぐに出ていってしまうので、影響は小さいらしい。ラジウムやプルトニウムは、細かい粉末を吸いこむと、それが肺の内側に付着するから、そこで放射線を出し続ける。
ものすごく大雑把に要約すると、ラジウムはプルトニウムと同じぐらい危険な物質と言えるだろう。
実際、ラジウムのせいで、これまでに多くの人が犠牲になっている。昔、アメリカでは、時計などに夜光塗料を塗るダイヤルペインターと呼ばれる職業の女性がいた。彼女たちの中には、筆の先を尖らすために舐める者がいた。そのため、塗料に含まれるラジウムが体内に入り、主として骨に蓄積して、多くの人ががんで亡くなった。
ATOMICA/夜光塗料による放射線がんの発生
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=09-03-01-10
また、近年の日本では、トルマリンだのゲルマニウムだのマイナス・イオンだのがブームになったが、アメリカでも1920年代、ラジウムのブームがあった。ラジウムの放射線によって健康になると信じられ、ラジウム水やラジウム内服薬、ラジウム歯磨き、ラジウムチョコレート、ラジウムサポーター、はてはラジウム座薬なんてものまで売られていたという。
今から思えば、何とも恐ろしい話だが、これもやはり死者が出ているそうな。
六城ラヂウムBlog
http://www.rokujo-radium.com/blog/index.php?entry=entry080519-110033
http://www.rokujo-radium.com/blog/index.php?entry=entry110929-004530
だからセシウムやプルトニウムをこわがる人たちが、ラジウムをあまりこわがらないというのが、僕には不思議なのである。純粋に人体に及ぼす危険性だけ考えたなら、「民家の床下からラジウムが発見された」というニュースを聞いたら、「民家の床下からプルトニウムが発見された」というのと同じぐらいこわがらないとおかしいのだ。ましてや、セシウムよりはるかにこわがるべきではないのか。
どうもこういう感覚の根底にあるのは、「人工のものは危険、自然のものは安全」という神話なんじゃないかという気がする。ラジウムやラドンは天然に存在する元素で、昔からラジウム温泉やラドン温泉として親しまれている。だから人間が作ったプルトニウムより害が少ないと思われているのかもしれない。
言うまでもないが、危険性を論じるのに、「人工か自然か」なんて関係ない。問題は毒性の強さと量である。
不安を煽らないように言っておくと、ラジウムも大量に体内に入れない限り、まず害はない。夜光塗料を塗った時計が家の中にあっても、何の心配もない。(夜光塗料を削って食べるとかいうバカなことをしない限りは)
実際、ラジウム健康グッズは今の日本でも普通に売られている。迷惑がかかるかもしれないのにリンクは避けるが、興味がおありの方は「ラジウムシート」「ラジウムボール」などといった言葉で検索してみてほしい。実にたくさんのラジウム商品が見つかるはずだ。
もちろんこれらは、かつてのラジウム健康グッズと違い、体内に入れるものではない。外から放射線を浴びるだけだし、被曝量も少ない。(もっとも、健康にいいかどうかはきわめて怪しい。少なくとも僕はおすすめしない)
たとえば、毎時7.5マイクロシーベルトのラジウムシートというのが売られているのだが、このシートの上で1日8時間寝ても、被曝量は年間20ミリシーベルトぐらいにしかならない。ラジウムの瓶の上で寝起きしていた世田谷の女性の場合、年間30ミリシーベルトほど被曝していたとされているから、市販のラジウム健康グッズより少し多い程度なのだ。
世界には自然放射線が10ミリシーベルトぐらいある地域がいくつもあるが、その地域の住民にがんの増加は認められていない。だから、その2〜3倍ぐらい浴びたところで、そう簡単に死にはしない。
ただ、注意しなくてはいけないのは、「がんの増加は認められない」というのは、「がんが増加していない」と同義ではないということだ。
日本国内でも、都道府県によってがんによる死亡率は何%も異なる。同じ県内でも、年ごとに何%も上下する。
つまり、仮に年間20〜30ミリシーベルトの放射線のせいで0.1%ぐらい死亡率が増加したとしても、それは統計では立証できない。その程度の増加は、統計のゆらぎの中にまぎれてしまうのだ。
低線量被曝の影響がよく分からなくて、議論の的になっているのは、そのためなのだ。統計から被曝の影響を見出すことはできない。だから「これぐらいの被曝量ならこれぐらいリスクが上がるはず」という理論的な類推しかできないのだ。
つまり「確かなことは分からない」としか言いようがないのである。
これを聞いて「影響があるかどうか分からないのはこわい」と思うか、「なんだ、統計に出ないほど小さな害しかないのか」と思うかは、あなたの自由である。
僕としては、0.1%程度のリスクの増加を恐れるより、他にもいくつもある、がんのリスクを増加させる要因(喫煙、飲酒、肥満、運動不足、野菜不足、塩分の取りすぎなど)を警戒する方が、はるかに合理的で有益だと思うのだが。