「インディアナポリス」は差別語か?

 先日発売された創土社の『超時間の闇』だが、その中に収録された僕の原稿について、ちょっとしたトラブルがあったことを報告しておきたい。

 

 ゲラチェックも完了して編集部に返送した後、10月17日になって、編集者から電話がかかってきた。「一箇所直してほしい」というのである。

 オクラホマの田舎の農家の主人が、近くに住んでいる学者について語っている箇所だ。時代設定は1940年である。

>「いや、大学で数学を教えてたとか聞いたな。今はこのあたりで、インディアンの塚を調べてる」

 この「インディアン」が差別語だから「先住民」に変えてくれというのだ。

 いや、1940年のアメリカ人、しかも田舎の農夫が 「先住民」なんて言ったらおかしいじゃん。「インディアン」と言うのは普通でしょ?

 ちなみに、僕も地の文では「先住民」という言葉を使ってる。ここは台詞だから「インディアン」でないといけないと思ってこうしたのである。

 でも編集者は、「“インディアン”という言葉を使ったら100%抗議が来る」と主張する。いや100%は来ないでしょ。

「1人でも不快に思う人がいるなら、その言葉を使うのを控えるべきだと思うんです」

 いやいやいや、それ危険思想だから! 出版業界の人間が自分の首を絞める行為だから。

 だって、どんなことを書こうが、不快に思う人間は絶対いるんだから。世の中には『ガールズ&パンツァー』や『艦隊これくしょん』を不快に思う人間だっているんだから(バカバカしい話だけど事実)。「1人でも不快に思う人がいるなら」書いちゃいけないってことになったら、文章なんて何も書けないよ。

 まして創土社はホラーを出しているのだ。特にラヴクラフト作品は人種偏見の要素が強い。たとえば差別的表現を使わずに「レッドフック街怪事件」をどう紹介するっていうの? 

 抗議が来ることを恐れてるらしいけど、日本在住で日本語が読めるアメリカ先住民の方が『超時間の闇』を読んで、一箇所だけある(しかも差別的なニュアンスを含まない)「インディアン」という単語に抗議してくるってことなのか? もちろんそんな可能性はゼロではないけど、そういう人はまず、アメリカ国内にある膨大な西部劇の中の「インディアン」という言葉に抗議するんじゃないだろうか。

「そう言えば今、西部劇はどうなってるんですか? 『ローン・レンジャー』とかは?」

「あれも吹き替えで“インディアン”という言葉は“先住民”に変えてるそうです」

「吹き替えでは……ってことは、原語では“インディアン”って言ってるんですよね?」

「はい」

「じゃあ、“インディアン”を“先住民”に言い換えてるのは日本だけ?」

「いえ、日本だけではないと思いますが……」

 意味がない。

 そもそも「Indian」という言葉を「Native American」と言い換えることについては、当のインディアンの人たちからも反対の声があるという。なぜなら「Native American」と言ってしまうと、アラスカのイヌイット(この言葉についても議論はあるんだけど)やハワイの先住民なども含むことになり、いわゆる「American Indian」という集団を指す言葉がなくなってしまうのだ。

 逆に「Native American」を「American Indian」の同義語とすると、それ以外のアメリカ先住民の存在が無視されることになり、それはそれで問題である。

http://en.wikipedia.org/wiki/Native_American_name_controversy

 僕は前に小説で「インディアン」という言葉を使ったけど、何の問題もなかったことを編集者に説明した。『シュレディンガーのチョコパフェ』に収録した「闇からの衝動」だ。時代設定は1936年、場所はインディアナ州インディアナポリスである。

>「インディアンの遺跡じゃないでしょうか」彼は意見を述べた。「このあたりはインディアナポリスというぐらいだから、昔はインディアンが大勢住んでたんでしょう?」

 これ、最初に『LOGOUT』に発表した時も、早川の短編集に収録した時も、何も言われなかった。もちろん抗議なんかなかった。

「“インディアン”という言葉を使っちゃいけないってことは、“インディアナポリス”という言葉もダメなんですか? 実在の人物が住んでた実在の場所なんですけど」

「“インディアナポリス”は……難しい問題ですね」

 そりゃ難しい問題だわ(笑)。

 それでも編集者は折れない。僕一人の問題だったらもう少しねばったんだけど、今回の本は共著である。僕が意地を張ったせいで出版が遅れたら、他の著者に迷惑がかかる。かと言って、素直に改変に応じた場合、事情を知らない読者に、「山本は1940年の話なのに“先住民”なんて言葉使ってやがる!」と嘲笑されるのもしゃくだし……といったことを考え、僕はこう言った。

「だったら“先住民”に変えてください。その代わり、ブログでこの経緯を説明させていただきます」

 編集者がほっとした様子で「それでいいです」と言ったので、ここでこうして経緯を紹介するしだいである。 僕は“先住民”という言葉を使いたくなかったけど、編集者に不本意な改変を強いられたということを。

 もうほんとに、こういう問題は面倒だ。

 マスコミのみなさん! 「インディアナポリス」も差別語ですか? 使っちゃいけないんですか? 外国作品に「Indianapolis」という単語が出てきたら、「センジュウミナポリス」とか言い換えなきゃいけないんですか?

「Indiana Jones」は「センジュウミナ・ジョーンズ」ですか? 『センジュ・ジョーンズ/最後の聖戦』?

 星座の「インディアン座」も「先住民座」に変えるんですか? 

 あと、「テン・リトル・インディアンズ」が使えなくなったら、クリスティの『そして誰もいなくなった』はどうなっちゃうんですか?

 僕も差別には断固反対な立場だけど、歴史的に正しい用法で、しかも差別的意図を含まない表現まで規制しないでほしい。何も考えずに、機械的な言葉の言い替えだけで済ますのは、単に厄介な問題から目をそむけているだけ。それこそ差別だから。