ゲッペルさんのいない人

 ずいぶん遅くなったけど、迷った末に買っちゃいましたよ、『さよなら絶望先生』第十五集限定版オリジナルDVD付き。3470(さよなら)円もするやつ。シャレで定価決めんなよ(笑)。

 でも、好きなんだよね、『絶望先生』。

 まずDVDから説明すると、やっぱり面白かった。特に今回は原作のハニートラップの話なんで、中国製のパチモン『らき☆むた』を正確にアニメで再現してみせているのが大笑いだった。

 今回、本編でいちばん面白かったのが、ゲッペルドンガーの話。

 自分がもう一人の自分を見るのがドッペルゲンガー。それに対し、もう一人の自分が自分を見るのがゲッペルドンガー。

 何かしょーもないことに熱中していた時、ふと我に返り、熱中している自分を「何やってるんだ」と、背後から一歩引いて冷ややかに見てしまう。それがゲッペルドンガーなのだという。(晴美の場合、やおいマンガを描いていて、男の乳首にトーンを貼りながらにやついている瞬間に現われる)

 ああ、あるある、ゲッペルドンガー。

 確かに、ゲッペルさんがずっと背後にいると、何でも冷ややかに見てしまい、素直にものごとを楽しめない。だから普段はゲッペルさんはいない方がいい。でも、まったくゲッペルさんが出てこないと、これまた歯止めがなくなって暴走してしまう。

 ゲッペルさんがいなくなった糸色先生は、どんどん痛い人になってゆく。つまり「痛い人」というのは、ゲッペルさんがいない人、自分を客観的に見ることができない人なんである……というお話。

 なんか、ギャグマンガなのにすごい真理を突いてくるよね、『絶望先生』。 そこがいいんだけど。

 確かにいるよなー、ゲッペルさんのいない人。「もうちょっと自分を冷静に見てみたら」とか忠告しても、ぜんぜんできない人。僕の出入りしているコミュでも、あの人とかあの人とか。

 どんなに他人からバカにされても、ゲッペルさんがいないと、なぜバカにされてるのか理解できないんだろうな。だから反省の生まれようもなく、同じことを繰り返すわけだ。

 かく言う僕も、思い出して見ると、若い頃はゲッペルさんはいなかったなあ。どう考えたって他人からは不愉快にしか見えないことを、平気でやってたもの。あー、いたたたた。

 今回は他にも、「雨降って地陥没」「主語霊」「駄目イタコ」など、「あるある!」というネタが続出。確かに「私」と言うべきところを「私たち」と言っちゃう「主語のデカい人」とか、「原作者は泣いているぞ」などと勝手に霊媒する人とか、いるよね。

 今回、いちばんの名台詞だと思ったのは

>「犬はササミの事しか考えていない!」

 そうだよなー。犬は考えてないよなー。