「目に見える形で反論を提示する」:補足

 前回、書いた文章について、誤解を招きそうな点があるので、補足したい。  僕は「表現規制と犯罪の発生の間に因果関係がある」とか「規制すれば必ず犯罪が増える」とは主張しない。文中でも述べたが、相関関係があっても因果関係のない例はいくらでもあるからだ。  たとえば、トンデモさんの中には「日本人は肉を食べるようになったからガンが増えた」「肉食はガンの原因だ」と主張する人がいる。  確かに日本人のガンは昔より増えているが、それは日本人がガンになりやすくなったことを意味しない。ここ数十年、医学の進歩によって多くの病気が治るようになり、日本人の平均寿命が大幅に延びた。つまり高齢者が増えた。高齢者ほどガンにかかりやすいから、ガン患者も増えているというだけだ。  最近出たばかりの安斎育郎編著『これってホントに科学?』(かもがわ出版)には、同様の例として、重要犯罪の検挙率と女性の初婚年齢にも相関がある(初婚年齢が高くなるほど検挙率が下がる)と示されている。もちろん、これは冗談で、明らかに因果関係はない。  ちなみにこの『これってホントに科学?』という本、僕の『ニセ科学を10倍楽しむ本』と同じく、子供向けのニセ科学警鐘本で、『水からの伝言』、血液型性格判断マイナスイオン、アポロ陰謀説、ID論などが扱われている。お子さまのおられる家庭におすすめ。  まったくの余談だが、15日の規制反対集会で、山口貴士弁護士に『ニセ科学を10倍楽しむ本』を差し上げようとしたら、「もう買いました」と言われてしまった(笑)。ありがとうございます。  話を戻そう。  僕が強調したいのは、マンガの表現と犯罪の発生の間に正の相関関係(表現が過激になれば犯罪が増える。規制すれば犯罪が減る)がまったく見られないということだ。  両者に因果関係があると主張したいなら、まず相関関係があることを証明しなくてはいけない。でも、そんな証拠はどこにもない。  証拠もないのに「アニメ文化やロリコン文化が性犯罪を絶対に助長している」などと決めつけるのは、絶対に間違いである。  強姦の件数のグラフについても、補足しておきたい。  前回の記事のコメントにこういうものがあった。 >ネットでバリバリの規制推進派の女性議員さんに性犯罪のグラフの事をメールした方がその女性議員さんから返事がきたようですが、性犯罪について女性は被害届を出しにくいからそのグラフは当てにならない!(要約)と一喝されたと書いていました。 >Posted by とも at 2010年03月19日 04:13  その女性議員の主張には一理ある。強姦事件の被害者の多くは、訴え出ずに泣き寝入りする。だから実数は認知件数の数倍あると推測される。認知件数は実数を正確に反映してはいないのである。  ただ問題は、60年代後半からの認知件数の大幅な減少だ。これは「泣き寝入りしている女性が多いから」では説明がつかない。被害に遭っても堪え忍ぶ女性は、昔の方が多かったんじゃないだろうか?  70年代と言えば、ウーマンリブ(女性解放運動)なんてものが盛んで、権利を訴える女性が急速に増えてきた頃。そんな時期に、強姦されても泣き寝入りする女性が急増していたと考えるのは無理があるのではないか?  同じ時期、殺人や強盗のような他の凶悪犯罪も減少していたことを考えると、やはり強姦事件の実数自体が減っていたと考えるべきではないだろうか。  別のグラフも見てみよう。これも前回紹介した、東京都青少年問題協議会専門部会長の前田雅英氏の著書『少年犯罪』(東京大学出版会)74ページからの引用である。  ……えー、同じページに石原慎太郎(現・東京都知事)原作の映画『太陽の季節』(1956年)のポスターが載ってるんですが(笑)。  ペニスで障子を突き破るシーンがあまりにも有名な『太陽の季節』は、1955年に発表され、当時、ベストセラーとなった小説。Wikipediaの解説にあるように、高校生の無軌道な青春を描く不道徳な内容だったことから、おおいに騒がれた。一方では若者から支持され、「太陽族」なんていう流行語までできたそうだ。(さすがに僕も生まれる前の話なので、よく知らない) 『少年犯罪』の本文中に『太陽の季節』についての言及はないのだが、こうやって同じページに並べて載せると、まるで石原慎太郎作品が原因で強姦事件が増えたと言っているように見える。まあ、さすがに前田先生もそんなバカなことは言い出さないと思うが……。  もちろん僕も『太陽の季節』が強姦の増加の原因だとは主張しない。当時すでに無軌道な若者が増えてきていて、『太陽の季節』はそうした世相を先取りして反映していたんじゃないかと思える。  このグラフでも、60年代後半以降、少年による強姦事件の検挙人員数が急降下しているのが分かる。前田氏によれば、 >強姦罪は、認知件数の他に、届け出られない「暗数」の多い犯罪で、殺人や強盗より統計データの信用性は低いが、相対的な傾向は十分に読みとれる。  前田氏自身が、「信用性は低いが」と断りつつも「相対的な傾向は十分に読みとれる」と言っているのだから、僕も同じことを言っていいのだろう。 「強姦の認知件数のグラフは信用できない」と言っている人に対しては、「でも、東京都青少年問題協議会専門部会長の前田雅英先生も『相対的な傾向は十分に読みとれる』と言ってますよ」と反論するのがいいだろう。  ちなみに、僕がなぜ強姦だけでなく殺人の統計も示したかというと、多くの犯罪の中で、殺人の統計が最も信用できるからである。他の犯罪は、強姦と同じく、実数と認知件数の間に大きな開きがあり、実数の増加以外の要因で認知件数が上下してしまうのだ。  たとえば若者の窃盗事件を見てみよう。これも前田雅英『少年犯罪』69ページからの引用である。  ごらんのように、少年の窃盗事件の検挙人員率は、50年代後半から増加を続けている。  でも、ちょっと待っていただたきい。少年の窃盗って、大半が万引きじゃないのか?  実際、この『少年犯罪』56ページに載っているデータでも、少年の窃盗犯の中で、少年院送りにも保護観察にもなっていない事例が、90%以上もある。少年による窃盗事件の大半が、保護観察の必要もない微罪だということだ。  僕が子供の頃、まだスーパーマーケットなんてものも少なく、ほとんどの商店は監視カメラなんか設置していなかった。しかもコンピュータによる商品管理なんかない時代だから、万引きの被害に遭っていても商店の方が気づかないという例が多数あっただろう。  それに万引きに気づいても店主がいちいち警察に訴え出ないとか、万引きした少年を捕まえても警察に突き出さずにお説教や示談で済ます、というケースもよくある。  だからこのグラフだけ見ても、少年の窃盗犯の実数が増えているかどうかは分からないのである。単に店の監視体制の強化で万引きが捕まる率が高くなったり、警察に突き出すケースが多くなっただけなのかもしれないのだから。  やはり『少年犯罪』112ページより、占有離脱物横領罪の検挙人員率。  確かに占有離脱物横領罪で検挙される少年は増えている。  ところで、占有離脱物横領罪って、どんな犯罪だか、みなさんご存じだろうか? 僕も数年前までよく知らなかった。  たとえば、拾ったお金をネコババしたり、ゴミ捨て場に捨ててあった自転車を修理して乗り回していると、交番にしょっぴかれてしまうのである。  冗談みたいだが本当だ。ネットで「占有離脱物横領罪 自転車」で検索すると、捨てられていたり放置されていた自転車に乗っていたら、警官に呼び止められて交番に連れて行かれて調書を取られた……という例がたくさん見つかる。  拾ったお金をネコババするのはまずいだろうが、捨ててあった自転車をリサイクルするのがなぜ悪いのか、理解に苦しむ。  もちろん自転車だけではなく、まだ使える粗大ゴミなんかを家に持って帰るのも、占有離脱物横領罪である。警官に見つかったら「交番までご同行願います」となる。まずいなあ。我が家にもゴミ回収の日に拾ってきたぬいぐるみがあるよ(笑)。  上の罪名別家裁処理状況のグラフをもう一度見ていただきたい。この占有離脱物横領罪、保護観察になる例は窃盗よりさらに少ない。ほんの1〜2%程度だ。ほとんどの場合、調書を取っただけで、おとがめなしなんである。どれほどの微罪か、想像がつくだろう。  にもかかわらず、警官は占有離脱物横領罪を熱心に取り締まる。おそらく、簡単に摘発できて、点数を稼ぎやすいからだろう。  勘のいい方ならもうお気づきだろう。この占有離脱物横領罪、警察の取り締まりの変化によって、認知件数が大きく変わるのだ。ボロい自転車に乗っている少年を警官が呼び止め、「その自転車、どうしたの?」と訊ねる。その回数が増えれば、それに比例して認知件数も増えるのである。  前田先生はこう言う。 > 現在の犯罪数の多さは、やはり窃盗罪と占有離脱物横領罪(図13)を中心としており、これに前述の強盗や恐喝を加えると、最近の少年犯罪の激増は、財産犯が核となっているともいえる。(112ページ)  でも、その「中心」である窃盗罪と占有離脱物横領罪が、ほとんどが微罪であるうえ、認知件数が実数の変化以外の要因で大きく上下するものなので、説得力がない。  他の多くの犯罪も、実数と認知件数に開きがあるものが多い。  たとえば傷害や暴行。昔は子供同士が喧嘩してケガしたって、いちいち警察に訴えたりはしないことが多かった。  あるいは恐喝。これも強姦と同じく、被害を受けても黙っている人が多そうだ。  覚醒剤取締法違反。これももちろん、実数は認知件数よりはるかに多いだろう。  器物損壊罪。「自動車に傷をつけられた」とか「自転車のタイヤをパンクさせられた」などというのも器物損壊だが、小さな被害でいちいち訴え出る人は少ないと思われる。実はこの器物損壊の認知件数が近年、急増していて、それが窃盗を除く一般刑法犯の認知件数を押し上げている。 (犯罪白書(平成21年度版)より)  これらはどれも、時代による被害者の意識の変化(「些細な被害でも訴えよう」と思う人が増える)や、警察の取り組みの変化(取り締まりを強化する、職務質問の回数を増やす)など、実数の変化以外の要因で認知件数が大きく上下するのだ。  もちろん児童ポルノ法違反もそうだ。よく「検挙件数が昨年より××%増えた」とか発表されているが、単に取り締まりがきびしくなっただけなんじゃないのか? という気がする。まあ、実在の児童を虐待して作られている本物の児童ポルノについては、もっとじゃんじゃん取り締まっていただきたいが。  唯一、信頼できる統計は殺人である。殺人は認知件数と実数の開きは小さいと考えられているからだ。  無論、殺人犯が死体をうまく隠したので、失踪事件として処理され、殺人とは認知されない例もある。しかし、そんなに多くはないだろう。少なくとも、60年代後半以降の殺人の認知件数の大幅な減少を、「犯人が死体を隠すのがうまくなったから」とは言えそうにない。 (犯罪白書(平成21年度版)より)  強盗罪の統計も、以前は信用できたんだが、最近は怪しくなってきた。というのも、これまで窃盗罪が適用されていたかっぱらい事件に、強盗罪が適用されるケースが増えてきたからだ。(その分、窃盗罪の認知件数は減少しているはずだが、窃盗罪は強盗罪よりずっと多いので、減少は目立たない)  ちなみにこの『少年犯罪』という本、2000年に書かれたので、「最近の少年犯罪は急増している」というスタンスで論じられている。確かに上の強盗のグラフでも、2000年までを見たらそう見える。  実は少年犯罪だけではなく、90年代末から2000年代初頭にかけて、日本国内のあらゆる犯罪が急増していた時期があるのだ。 (犯罪白書(平成21年度版)より)  この時期にいったい何が起きていたのだろうか? 理由はよく分からない。不景気や、世紀末の世相不安の影響だろうか?  こういうことを書くと「外国人が増えたせいで治安が悪くなった!」と思いこむ人も多いようなので、その間違いも訂正しておく。平成20年のデータでは、検挙された全刑法犯(33万9,752人)のうち、外国人は3.7%、うち来日外国人は2.1%(7,148人)である。日本国内の犯罪の大半は日本人がやっているのだ。  何にせよ、殺人、強盗、傷害、詐欺、恐喝、横領、強姦、強制わいせつ、放火、住宅侵入、器物損壊については、平成15年ごろがピークで、現在は減少に向かっている。殺人に関しては、平成19年に、1199件という戦後最低の数字を記録している。  統計というのは重要なデータではあるが、必ずしも鵜呑みにはできない。統計の数字が上下する原因はいろいろ考えられるのだ。そこまで裏読みをしないと騙されることになる。