911陰謀論に思う

 9月11日である。

 ヒストリーチャンネルでもディカバリーチャンネルでも、いろんな特別番組をやっていて、もう何本も見た。火災に追われて人が窓から落ちてくる場面は、何度見ても胸が痛む。ビルの崩壊によって生じた大量の粉塵に追われ、人々が必死に逃げまどう姿は恐ろしい。

 もう9年も前なので、細部を忘れかけている人も多いだろう。しかし、あの悲惨な事件の記憶を風化させないためにも、こういう番組は定期的に見返すべきだと思うのだ。

 さて、911と言えば陰謀論。あの事件はアメリカ政府による自作自演だとか、ワールドトレードセンターには最初から爆薬が仕掛けられていて爆破解体されたのだとか、ペンタゴンに突入したのは巡航ミサイルだとか、当日は4000人のユダヤ人が仕事を休んだとか、アホな説を信じる人たちがいる。

 しかし、彼ら陰謀論者の主張はことごとく間違いであることが、この数年間にほぼ完璧に立証されている。いちいち説明すると長くなるので、以下のリンクを読んでみてほしい。

分解 『911 ボーイングを捜せ』

Skeptic's wiki 911陰謀論

911Plot(?)FAQ

 アポロ陰謀論もそうだが、こうした荒唐無稽な陰謀説はすでに反証し尽くされていて、もう反証するネタがほとんど残っていない状況である。

 にもかかわらず、911陰謀論が下火になる気配はない。実際、Googleなどで911関係の情報を検索すると、陰謀論を唱えるページばかりがやたらヒットする。新刊書店の国際情勢の棚に行っても、もはやまともな911本は並んでおらず、911陰謀論の本があるばかり。

 こういうのを見ると、本当に無力感を覚える。ごく一部の理性ある人間が、証拠や理詰めで真実を説いても、信じてしまった人の耳には届かないのではないか。ほとんどの人は、「911同時多発テロってアメリカ政府の自作自演だったんだぜ」という話を聞かされると、裏も取らずにそれを鵜呑みにしてしまうようなのだ。

 最近、mixiでHEROという人物が新たな陰謀論を唱えている。彼の説によれば、なんと、ユナイテッド航空175便がWTC南棟に激突するあの映像はCGなのだという。実際はビルに仕掛けられた爆弾が爆発しただけで、飛行機など衝突していない。テレビ局が共謀してCG映像を流し、世界中を騙したというのだ。

 しかし、当日の映像を見れば分かるが、WTC周辺には何千人という野次馬がいて、燃えるビルを見上げていた。飛行機がぶつかっていないのに爆発が起きたら、それを証言する目撃者が大勢いるはずではないか。

 しかしHERO説によれば、「目撃者は少ない」という。そして飛行機がぶつかったことを目撃した者など一人もいない、というのだ。

 さらにHERO氏は言う。ユナイテッド航空175便は最初から存在していなかった。乗客も存在していない。だから乗客の遺族が名乗り出てくるはずがない……。

 もちろんそれは事実に反する。175便の衝突を目撃した人はいるし、乗員乗客の遺族も実在し、テレビにも出演している。

 ほんの一例を挙げるなら、会社役員のピーター・ハンソン氏は、妻のスー、幼い娘のクリスティーンと175便に乗っていて、ハイジャックに遭遇した。彼は機内電話を使って母親に電話をかけ、「飛行機がハイジャックされた」と告げている。両親のリー・ハンソンとユーニス・ハンソンの夫妻は、2003年、息子の名前でノースイースタン大学に記念基金を設立している。

http://www.northeastern.edu/leadershipcampaign/campus/hanson.html

 だから175便が実在したことも、それがWTC南棟に衝突したことも疑いようがないのだが、そうした情報を示されてもHERO氏はいっこうに動じない。自説に都合の悪い情報はすべて嘘だと決めつけ、認めようとしない。テレビに出演した遺族などもみんな「ヤラセ」なのだという。

 ちなみにHERO氏によれば、僕は「工作員」なのだそうだ(笑)。

 HERO氏は極端な例だとしても、911陰謀論者の多くが、事実を見ようとしないし、まともな理屈がまったく通用しない相手であることは確かだ。

「そんな珍説を信じる連中はみんな頭がおかしいのだ」と、切って捨てたくなる。

 しかし、ちょっと待ってくれ。アメリカでは911アメリカの自作自演だと信じる者は15%もいるのだ。他の国でも何十%という人が信じているし、たぶん日本でもかなり多いと思う。一方、統合失調症の発症率は0.8〜1%、他の精神病も合わせても数%でしかない。無論、精神病者の全員が911陰謀論を信じているわけでもない。

 つまり、911陰謀論者のほとんどは「正常」だということになる。

 この事実はどう考えるべきなのか。僕が思うに、「正常」の定義を考え直す必要がある。そもそもすべての人間は「正常」ではないのではなかろうか?

「すべてのヒトは認知症なのです」というのは、僕が『アイの物語』の中でアンドロイドの詩音に言わせた台詞である。

>「文字通りの意味です。あなたたちは認知症のヒトとそうでないヒトがいると思っていますが、それは間違いです。すべてのヒトは認知症で、症状に程度の差があるだけなのです。認知症のヒトの多くは、自分が認知症であるという認識を持たないものですから」

>「論理的帰結です。ヒトは正しく思考することができません。自分が何をしているのか、何をすべきなのかを、すぐに見失います。事実に反することを事実と思いこみます。他人から間違いを指摘されると攻撃的になります。しばしば被害妄想にも陥ります。これらはすべて認知症の症状です」

 これはかなりマジである。もっとも最近では、「すべてのヒトは統合失調症なのです」と言い換えたほうがいいのではないかという気もしているが。

 何にしても、僕らは完璧な知的生命体とはほど遠い。「万物の霊長」だなんておこがましい。人間の思考プログラムはバグだらけだ。まともな思考力のある知性体なら、911陰謀説なんか信じたりするものか。

 911テロという事件そのものについても、同じことが言える。アルカイダがやったことも、それに対してアメリカが取った行動も、明らかに間違っている。論理的にも、倫理的にも。

 人間が真の知性体であるなら、あんな愚かなことができるはずがないのだ。

 そう、誰かが愚かなんじゃない。僕ら人類はみんな愚かなのだ。しょっちゅう間違ったことを信じ、しょっちゅう間違った行動を取る。

 だからこそ僕らは慎重にならなくてはいけないと思う。重大な結果を惹き起こす決断に際して、「この決断は本当に正しいのか」と、立ち止まって考えてみる必要がある。HERO氏のように、「自分の考えに間違いはない」などと思ってはいけないのだ。いつも「間違っていないか」とびくびくすべきなのだ。

 911同時多発テロという事件は、その良い教訓だ。

 僕らが悲劇から何も教訓を学ばず、これからも愚行を繰り返すなら、死んでいった何千人という犠牲者が浮かばれない。