「谷岡敏行氏殉職事件」の拡散過程【都市伝説】

 尖閣事件がらみで広まっている都市伝説(と言ってよかろう)について、とりあえず今までに分かったことをまとめておこう。  なお、マイミクのgalleryさんの日記をおおいに参考にさせていただきました。感謝します。 ●9月7日  漁船衝突事件を報じる中国BBCニュースの中に、「事故沒有造成人員傷亡」という箇所があった。これが後で問題になる。 http://www.bbc.co.uk/zhongwen/trad/china/2010/09/100907_china_japan_diaoyu_crash.shtml ●10月11日  2ちゃんねるにこんな内容の投稿があった。 http://2nnlove.blog114.fc2.com/blog-entry-2973.html 837 :名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:55:14 id:mErDVXEz0 >いまはWikileaks と交渉中。 >映像はそっち経由で欧米メディアから出るらしいです。 >海保船舶が横付け。海保職員が乗り込む。 >その後、中国船舶が突如離船。 >取り残された海保職員が、中国船舶から突き落とされる。 >海に落ちた海保職員を潰すように、中国船舶が進路変更。 >海保職員が必死に泳いで逃げるのを、銛で突く仕草あり。 >海保船舶が、海保職員を救出するため、停船し救助に乗り出す。 >その後ろから迫る中国漁船。海保職員は押しつぶされそうになる。 >間一髪で海保職員は海保船舶に後部から担ぎ上げられる。その数秒後に漁船が海保船舶の後部から衝突。  この文章は即座に多くのスレッドやブログにコピペされ、拡散する。  この時点ではまだ「殉職者が出た」という話がどこにもないことに注意。 ●10月中旬  先の記事の中の「事故沒有造成人員傷亡」という文は「事故による死傷者はなかった」という意味なのだが、googleの翻訳では「事故は死傷者が発生していました」という誤訳になる。このことから「死傷者が出ていることを海保が隠蔽している」という説が複数の人間によって唱えられる。 http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20101108/1289231277 http://blogs.yahoo.co.jp/tarismanaspect/35048127.html http://blog.livedoor.jp/mikachan_1980/archives/1277011.html http://minkara.carview.co.jp/userid/240136/blog/20028073/ ●10月24日  石原慎太郎氏がフジテレビ系『新報道2001』で「政府の関係者から聞いた。日本の巡視船の乗組員が何かの弾みに落ちたのを、中国の漁船(の漁師が)モリで突いてるんだって。それは『仄聞ですが』と、数人の人から聞いた」と発言。 「仄聞」(ほのかに聞くこと。うわさに聞くこと)と言っているように、ソース不明の情報である。  海上保安庁の広報担当者は26日、「そういう事実はない。巡視船の乗組員は海に転落していないし、誰もケガをしていない」とコメント。 http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20101027/plt1010271610003-n1.htm ●11月4日  尖閣ビデオYouTubeに流出。 ●11月5日  尖閣ビデオと『真夏の夜の淫夢』というAV(一部では有名な作品らしい)を組み合わせたMADがニコニコ動画に投稿される。 尖閣流出ビデオ 中国船員が海保職員谷岡氏を銛で突く問題のシーン抜粋 http://www.nicovideo.jp/watch/sm12649580  説明文にはこうある。 >中国側の理不尽な攻撃によって臀部に重傷を負った海保職員の谷岡俊一氏は殉職されたそうです・・・中国人は二度とこの世界にいられないようにしてやりたいです。なお、谷岡氏殉職の情報元は彼の先輩の田所氏による勇気ある迫真のリークです。 谷岡俊一」というのは『真夏の夜の淫夢』の中で、尻を銃で撃たれる男の通称。「二度とこの世界にいられないようにしてやる」「先輩の田所氏」というのもパロディだった。 http://anond.hatelabo.jp/20101108220759  そういう元ネタを知らなくても、映像を最後まで見ればネタだと分かるのだが、なぜか本気にした人間が続出。 ●11月7日 たかじんのそこまで言って委員会』に出演した元自衛官惠隆之介氏が「乗員が海に落ちたらしいという情報ですね。それをモリで突こうとしたという関連も、私は聞いております」と発言。ただし情報の出所については口をつぐむ。  同日、2ちゃんねるにまたまた書きこみ。重傷だった海保職員が死亡して殉職者が2名になったという話。 http://plaza.rakuten.co.jp/ABABA/diary/201011080001/ >659 名前:名無しさん@十一周年 投稿日:2010/11/07(日) 00:48:26 ID:ixEU1SH90 >あのな、おととい、即死じゃなかった入院中の乗組員が亡くなってたんだよ。 >これで殉死者2人出たことになった。 >515 名前:名無しさん@十一周年 投稿日:2010/11/07(日) 17:06:21 id:ixEU1SH90 >殉職した 佐〇氏、〇岡氏の両名の名誉のために言っておく。 >彼らは両名ともに入庁8年のベテランである。今案件の事案は国際的にも大変な悪影響を及ぼすことは十分承知していたはず。しかしながら内閣は隠蔽を指示。 >命をはって領海を警邏する海保にとってこれほどの屈辱はない。 >彼らは果敢にも相手船に乗り込み、憲法9条に縛られて抵抗できぬまま >相手の鉄パイプにより海原に落とされた。そのあと、中国漁船のスクリューで一名は即死、もう一名は助け上がられるも11/4深夜、帰らぬ人となった。 ●11月8日  テレビ朝日ワイド!スクランブル』に出演した佐々淳行氏が「検挙活動の際に、中国船に(海保職員が)3人乗ったところで、離れて、1人突き落としているという、複数の、確実と思われる情報があります。それが一生懸命泳いでいるのをモリで突いた。さらにはね、乗り切っちゃって沈めようとした」と発言。  同日、またまた2ちゃんねるに書きこみ。 http://p2.chbox.jp/read.php?url=http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1289186679/150 >150 :名無しさん@十一周年 :sage :2010/11/08(月) 14:44:24 id:ua9pxoPw0 >尖閣ビデオ内部告発の義憤 >入庁8年のベテランで殉職した 佐藤氏、谷岡敏行氏 >彼らは果敢にも相手船に乗り込み、憲法9条に縛られて抵抗できぬまま、 >佐藤さんは機銃?(自動小銃か?)で撃たれて即死だったらしい。 >死体は素巻きにされて海に捨てられた。 >谷岡敏行さんも撃たれたが致命傷ではなく海に飛び込み逃げようとしたが >中国船の船員(中国海軍工作員?)は銛で突き殺そうとした。 >それを逃れようと泳ぐ谷岡さんを殺すため、中国船は船体で轢き殺そうとして乗り上げ、 >スクリューに巻き込んで重傷を負わせた。 >谷岡さんを救出しようとして日本側の巡視船が近付き、引き上げようとしたところに、 >谷岡さんを挟みこんで殺そうとして中国船がぶつけてきた。 >谷岡さんはぶつけられずに援け出されたが、巡視船の船体は破損した。 >その後、巡視船は漁船を制圧して中国船の乗員たちを逮捕。 >谷岡敏行さんはヘリで石垣島の病院に搬送されたが、後日11/4深夜に八重山病院で亡くなった。  殉職者の名前「谷岡俊一」が「谷岡敏行」に変わっている。同名の競馬の騎手が殉職したことにひっかけたらしい。おまけに先の話では「佐〇氏」はスクリューで即死だったはずが、こっちは機銃で殺されて簀巻きにされて海に投げこまれたことになっている。  さらにその日の夜には、「佐藤氏」が「佐川穂波」という女性ということにされ、三人目の「坂田政巳」という負傷者もいることにされる。これらもAVにひっかけたネタ。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1450051259 >谷岡敏行(殉職) 佐川穂波(殉職) 坂田政巳(負傷) >と出ています。 >ちなみに佐川さんは >女性とのことです。  こうして色分けすると分かるが、青系統の話と赤系統の話は別物である。 「海に落ちた」「モリで突こうとした」という話に関しては、まだすべてのビデオが公開されたわけではないので、事実である可能性もないではない。ただ「間一髪で海保職員は海保船舶に後部から担ぎ上げられる。その数秒後に漁船が海保船舶の後部から衝突」というのは、明らかに流出ビデオの内容と食い違っており、かなり疑わしい。  一方の赤系統の「殉職」という話に関しては、誤訳とMADが原因となったデマであることは間違いない。  そもそも、常識で考えて、人が死んでいるのに隠蔽できるわけがない。海保内だけに緘口令を敷いたって無駄である。当然、搬送された病院の医師や看護師も事情を知っている。だいたい遺族にはどう説明するのか。「あなたのご子息は中国人に殺されましたが、国益に反するので黙っていてください」と言われて、黙っている人間がいると思うのか。 「憲法9条に縛られて抵抗できぬまま」というのもムチャクチャである。機銃で攻撃され、仲間が殺されているのに、反撃しないわけがなかろう。2001年に北朝鮮の不審船と海上保安庁の巡視船が交戦したことがあるのを忘れたのか。 九州南西海域工作船事件 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E5%8D%97%E8%A5%BF%E6%B5%B7%E5%9F%9F%E5%B7%A5%E4%BD%9C%E8%88%B9%E4%BA%8B%E4%BB%B6  それに青系統の話では、中国漁船員は海保職員を殺そうとしたというだけで、殺してはいないのだから、話が矛盾している。  最初からビデオを公開していれば、こんなデマが流れることもなかっただろう。だからと言って、デマを信じて拡散した者の迂闊さが免責されるわけではない。ちょっと調べるだけでデマだということは分かったはずだ。  デマはネズミ講と同じだ。騙された人間がみんな被害者とは言い切れない。ただ信じただけなら被害者だが、それを拡散したら、被害者が新たな加害者になる。 「テレビで偉い人が言っていたから」という理由で信じてはいけない。その人もデマに騙されているだけという可能性がある。その人が明確なソースを口にしない場合は疑ってかかるべきだ。アポロ陰謀説だって有名人が何人も信じてしまったことを忘れてはいけない。 「2ちゃんねるに書いてあったから」という理由で信じるなんて言語道断。ネット上には、デマを流して喜ぶ人間がいくらでもいるのだから。 「いかにもありそうな話だから」という理由で信じるのもダメ。「ありそうな」と「ある」はぜんぜん違う。 「火のないところに煙は立たない」という格言はウソ! 社会学者ジャン=ノエル・カプフェレの研究によれば、噂の大半は火のないところに立っているという。実際、ジャン・ハロルド・ブルンヴァンの都市伝説本を読めば、この手の話のほとんどは根拠がないことが分かる。 「疑問に思ったらまず検索」 「怪しい話は裏が取れるまでは信じない」  デマの加害者にならないようにするには、この2点を心がけるべきだろう。 【参考】 青き清浄なる海のために http://blog.zaq.ne.jp/blueocean/article/719/ http://blog.zaq.ne.jp/blueocean/article/668/