山本弘をめぐるデマ(1)

 以前、こういう文章を書いたことがある。

山本弘をめぐるデマ

http://homepage3.nifty.com/hirorin/dema.htm

 これを書いたのは2004年のことで、この時点でもうずいぶんいろんなデマが流れていた。その後も様々なデマが流れた。多すぎて全部は書ききれないほどだ。

 僕が自分に関するデマに最初に遭遇したのは、1980年代なかばのアマチュア時代にまで遡る。

 僕は1977年に「スタンピード!」で『奇想天外』誌のSF新人賞で佳作になった。本来ならそれをきっかけに本格的にプロ作家としてデビューすべきだったのだが、できなかった。

 作品が認められ、「これでプロになれる」と有頂天になった反面、「次はもっといい作品を書かなければ」という強迫観念にとらわれ、ぜんぜん小説が書けなくなってしまったのである。原稿用紙を一枚書いては気に入らなくては破り、また一枚書いては破りという繰り返しで、ぜんぜん前に進めない。

『奇想天外』にはその後、確か1本だけ短編を送ったと記憶している。自分でもひどい出来だと分かっていて、当然、ボツを食らった。

 その後約10年間、僕は同人誌に年に1〜2回、短編を発表する程度だった。同人誌ならさほどプレッシャーがきつくなく、書くことができたのだ。それでも執筆ペースはひどく遅かったが。

 この間、商業誌に何か原稿を送ったのは、80年代の前半、正確に何年だったかは忘れたが、『SFマガジン』の新人賞に応募して落選したことがある程度だ(ちなみに、その時に書いた話を大幅に改稿したのが、『アイの物語』に収録された「ブラックホール・ダイバー」である)。他には、『ファンロード』によく投稿してたのと、『SFマガジン』の読者投稿ページ「リーダーズ・ストーリイ」にショートショートを何度か送ったぐらい(ちなみに2回載った)。

 そうそう、『アニメック』が『ガンダム』論を募集した時に、ニュータイプをラマルキズム的新人類と位置づける架空理論「あなたもニュータイプになれる……かな?」を書いて送ったら入選したっけな(1980年12月号)。

 だが、当然、そんなものはプロになるための活動ではない。あくまでアマチュア活動である。

 この時期、僕はプロになるための活動をほとんど何もしていなかった。モラトリアムというやつである。

 1988年、『ラプラスの魔』(角川スニーカー文庫)で、ようやくデビューを果たせた。思えば長い回り道だった。

 後になって知ったのだが、80年代のSFファンダムでは山本弘が雑誌に作品を発表できないのは、不穏当な発言をしたのでSF界から干されたからだ」というデマが流れていたのだ。

 初めて耳にした時はびっくりした。教えてくれたのは同じ同人誌『星群』に所属していた年長のSFファンである。その人は完全にそのデマを信じていた。「いや、そんなことないですけど」と否定したら、「いや、君は知らないだろうけどね……」と、わけ知り顔で説明しようとされたのには参った。

 干されてる本人が干されてることを知らないなんてことがあるか!

 そもそも、作品を送ってないのに、どうやって干されるっていうの? そんなの論理的に不可能だろう。

 他にも何人もの人から同じ話を聞かされた。関西だけではなく、関東のファンダムでも広がっていたようだ。みんなそのデマを信じていた。中には「複数の人から聞いた」という理由で信憑性を覚えている人もいた。複数の人が言ったから正確というわけでもないだろうに。

 そして当然のことながら、その中の誰も、「不穏当な発言」とは何なのか、僕がどこでそんな発言をしたのか、どこから流れてきた話なのかを言えなかった。(今なら「ソースキボンヌ」とか言うところだ)

 SFファンだからといって、思考が論理的というわけではないのである。

 まあ、当時から僕はそういうキャラとして定着していたんだろう。『星群』の合評会(会誌が出た後、必ず作品を批評する会が開かれた)で、みんなが慣れ合いで当たり障りのない感想を述べ合っている中、僕だけが他の人の作品をずけずけと批判したりしていたからだ。一度、あまりにひどい作品があったので、「何でこんなレベルの低い作品を掲載したんですか!?」と、編集長に食ってかかったこともある。

 今から思えば、そもそも同人誌に載るアマチュアの作品がそんなに傑作ぞろいのわけがないのだから、大人げない態度だったとは思うが。

 誰が最初にデマを流したのかは、もちろん確かめるすべはない。誰かが「山本ってああいうことを言うからSF界から干されたんじゃねーの」と冗談で言い出し、それがいつのまにか事実として定着したんじゃないか……という気がする。

 ちなみに『奇想天外』の新人賞でいっしょに佳作になった一人が新井素子さんである。授賞式で初めてお会いした時はまだ高校2年生で初々しく、「この子があんなすごい小説書くのか!」と驚いたものだ。

 その後、足踏みしている僕を尻目に、新井さんは『いつか猫になる日まで』『星へ行く船』『ひとめあなたに…』『グリーン・レクイエム』『二分割幽霊綺譚』などの傑作を次々に発表、たちまち人気作家となる。当時のSF界ではアイドル視されていて、ゼネプロが吾妻ひでおデザインの新井素子メタルフィギュアを出したこともあるほど(僕も買ったけど、どこかに行っちゃった。残念)。若い読者からは「素子姫」と呼ばれていて、『ファンロード』が「素子姫特集」を組んだこともある。

 僕も新井さんの作品の大ファンで、『…絶句』あたりまではほぼ全作品を読んでいた。中でも、地球最後の日々の人間模様を描いた『ひとめあなたに…』は、今でも個人的に新井さんの最高傑作だと思っている。復刻されているので、ぜひお読みいただきたい。チャイニーズスープ!

 もっとも、僕はずっと京都に住んでいて、ぜんぜん新井さんにお会いする機会などなく、遠くから片思いしているだけたった。だもんで、結婚されたと聞いた時にはショックだった……。

 てなことを書いて『ファンロード』に投稿したら、それが後で山本弘新井素子に告白してフラれた」というデマに発展していた(笑)。してねーよ! 授賞式の時以来、10年以上、顔を合わせてもいないから。