山本弘をめぐるデマ(2)

 プロになってからもいろんなデマを流されたり、本に間違ったことを書かれたりした。

 たとえば『と学会白書vol.1』(イーハトーヴ出版・1997)に、超常現象研究家の故・大田原治男氏が寄稿された「と学会に反論する」という文章である。

 と学会では、非常に高度な問題を扱った場合は、間違いが多いと言われている。と学会会長の山本弘氏は、夢で予知するなどとはトンデモない事であると、以前トンデモ本に載せたことがある。(後略)

 当時出版されていた『トンデモ本の世界』『トンデモ本の逆襲』『トンデモ超常現象99の真相』、さらに自分の小説まで読み直してみたが、僕は「夢で予知するなどとはトンデモない事である」とも、それに近いことも書いていなかった。大田原氏は僕が言ってもいないことに対して反論していたのである。

 この時は「そそっかしい人がいるなあ」という印象だった。だが、その後も続々と同じようなことを言う人が現われた。

 (前略)彼らが「トンデモ学会」という会を発足させた最初の動機は、彼らの著書によれば、「真面目な本が売れないのに精神世界の本がバカ受けに売れている。だから彼らも精神世界の範疇の本を書く」というのである。未知なる分野に対して、それを究明するために著述するのではなく、金儲けのために著述するというのである。

――楓月悠元『全宇宙の真実 来るべき時に向かって』(たま出版・1998)

 そんな「動機」はどの本にも書かれていない。

 山本氏が以前に書いた『トンデモ超常現象99の真相』(P103〜104)の中で、飛鳥説によるヤハウェの公転軌道を、地球と全く同じ軌道として、だからこそ「ケプラーの法則」から見ておかしいと記載しているが、あのままでいいのか?(後略)

――飛鳥昭雄飛鳥昭雄ロマン・サイエンスの世界』(雷韻出版・2000年)

『トンデモ超常現象99の真相』の該当ページには「ケプラーの法則」なんて言葉は出てこない。

 当然、ネット上にもこういう人間はよくいる。たとえば、検索していて偶然に見つけてしまったのが、『神は沈黙せず』のデタラメなレビュー。書かれたのは2007年らしいが、僕が気づいたのは最近である。

またストーリーの構造から言えば、結局主人公の最終到達点は「神がいようがいまいが自分には関係ない」となるのだけれど、これって中盤で主人公が批判している宗教家の考えと同じだと思うんだよね。主人公はこの宗教家に対して激しく神が実在する証拠を要求する。宗教家は終いには「神が本当に実在するかどうかは我々の宗教にとって重要ではない」と言い出す。主人公はこれを聞いて「宗教にとって神こそが何よりも重要のはずなのに、それがどうでもいいとは何事か」と唖然とする。(この辺うる覚えなのであしからず)。

中盤で出てくる宗教家も、主人公の最終到達点もどちらも「神はいてもいなくてもいい」だ。両者が同じことを言っているのに山本は気づいていないのかもしれない。山本は宗教を超常現象やオカルトという側面からしか見ていないからこういうことになる。

宗教の本質はその時代時代の社会規範や経験則の集大成であり、現代の法律や科学が担っている部分にある。オカルト的要素は味付けに過ぎないわけで、その意味で「神の実在性」もさして重要なことではないわけだ。まあ宗教家にストレートにこれを言うと激怒するが、彼らの言うことをまとめれば結局そういうこと(「神は宗教にとって本質ではない」)にならざるを得ない。言い方を変えれば、社会規範と経験則の集合体を「神」と擬人化しているのだから、大事なのは集合体の方であって、擬人化された偶像ではない。大切なのは集合体である「教え」の方であって、偶像の方は実在していようがいまいがかまわないわけだ。

ところが山本の代弁者たる主人公には、宗教家が神の実在性を”どうでもいい”などということは常軌を逸した暴言としか解釈できない。山本弘疑似科学批判が本業(?)だから宗教をオカルト的な側面からしかみれないのは仕方ないのかもしれないが、その偏狭さが小説家としての能力にも足かせをはめてしまっている。

 はい、『神は沈黙せず』を読んだ方なら、どこがおかしいかお分かりですね。

「神が本当に実在するかどうかは我々の宗教にとって重要ではない」などと主張する宗教家なんて、この小説には出てこない!

 当然、主人公が「宗教にとって神こそが何よりも重要のはずなのに、それがどうでもいいとは何事か」とか「常軌を逸した暴言」などと思うくだりもない。そもそも主人公が宗教家に対して「激しく神が実在する証拠を要求する」場面などない。7章で主人公がオカルト信者や宗教関係者に問いかけた質問は、「神が実在するなら、どうして悪がはびこるのでしょう?」というものである。神が実在する証拠など要求していないのだ。

 ちゃんと間違いを指摘してくださっている方もいた。

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20080924/1222297593

 まあ、僕も小説のストーリーを誤って記憶していることはよくある。しかし、長々と書かれた『神は沈黙せず』批判の主要な論拠が、小説の中に存在しないというのは、あまりにひどいんじゃないだろうか。「この辺うる覚えなのであしからず」と書くぐらいなら、該当箇所を確認するぐらいの手間をなぜかけない?