僕の原発に対するスタンス

 デマの話の続き。

 最近、よく目にするのが「山本弘原発推進派だ」というデマである。

 どうやら、前に「福島産の農産物をじゃんじゃん食べよう!」と書いたのが、そうした誤解を招いたらしい。中には僕を「御用学者」と呼んでいる人もいる(笑)。

 冗談じゃない。僕は昔から反原発派である。

 それを証明しよう。まずは『妖魔夜行 戦慄のミレニアム(下)』(角川スニーカー文庫)の第10章から。なお、これを書いたのは2000年なので、ヨーロッパの情勢は現在では変わっている。

「何ということだ……」大統領はまた頭を抱えた。「我々はせっせと原発を作って、彼らが人類を滅ぼすための手助けをしていたのか……」

 現在、世界で使われている商業用一次エネルギーのうち、原子力が占める割合はわずか七パーセント。つまり、少し省エネを実行しさえすれば、世界は原子力なしでもやっていける。化石燃料には資源枯渇や環境汚染の問題もあるが、何十年もかけてゆっくりとソフトエネルギーに転換することは可能だ。

 にもかかわらず、大国が原発を競って建設したのは、核兵器開発とのからみや、電力業界の思惑があったからだ。それに気づいたヨーロッパ諸国は、脱原発に向かって動き出している。九九年一二月に稼動したフランスのシヴォー原発二号炉を最後に、ヨーロッパでは新たな原発の建設計画はない。それでもなお、世界には四〇〇基以上の原発が稼動しており、危険な高レベル放射性廃棄物を休みなく生産している。

 ちなみに、一〇〇万キロワットの原発一基が一年間で生み出す核分裂生成物は、広島に落ちた原爆がまき散らした量の一三〇〇倍に相当する。

 次に2007年の『「環境問題のウソ」のウソ』(楽工社)のエピローグより。

 たとえば僕は原発をこれ以上増やすのには反対である。しかし、「原発をなくすのが正しいことだ」とは言わない。なぜなら、自分の考えが漠然とした不安にすぎず、客観的なデータに基づくものではないと分かっているからだ。

 僕が恐れているのは深刻な原発事故が起きることである。狭い日本で大規模な放射能汚染が発生したら、どれぐらいの範囲が汚染されるか、どれほどの被害が出るか、予想できない。

 無論、原発推進派は「事故なんて起きません。安全対策は完璧です」と言うだろう。もちろんそれは分かっている。本当に安全対策が完璧なら、心配することはない。

 しかし、人間は時として、とてつもなく愚かなことをする。

 たとえば1986年のチェルノブイリ原発事故は、低出力運転の実験中に起きた。この実験中、緊急炉心冷却装置を含むすべての安全装置をカットした状態で、制御棒をすべて引き抜くという、とても信じられない危険な行為が行なわれた。そのせいで原子炉は制御できなくなって爆発した。

 死者2名を出した1999年のJCO東海村ウラン加工施設臨界事故では、正規のマニュアルを無視した手順で作業が行なわれていたのが事故の原因だった。「ウランを大量に集めると自然に連鎖反応が起きる」という原子力についての初歩的知識が、作業員に徹底されていなかったのだ。

 2004年、美浜原発3号機の蒸気漏れ事故では、4人が死亡、7人が重軽傷を負った。事故を起こした配管は、1991年に寿命が切れていたにもかかわらず交換されていなかった。設置時には厚さが10ミリあったが、内部を通る冷却水によって磨耗し、事故当時はわずか1.4ミリにまで薄くなっていた。

 どれも信じられない話である。小説で書いたら「そんなバカなことはありえない」「リアリティがない」と言われるに違いない。でも、これが現実なのだ。

 じゃあ、日本で近い将来、重大な原発事故が起きる可能性はどれぐらいか?

 そんなの分からない。「かなり小さい確率だけどゼロじゃない」としか言いようがない。「原発に勤める職員が信じられないほどバカなミスをやる確率」なんて、誰に計算できるというのか。

 分からない、という点が、僕はこわい。だから少しでも確率を減らしたくて、原発を増やすのに反対している。

 この頃はまだ「漠然とした不安」にすぎず、「これ以上増やすのには反対」という消極的な反原発論だったのだが、危惧していた「重大な原発事故」が起きてしまった後はこう変わる。2011年11月刊行のASIOS『検証 大震災の予言・陰謀論』(文芸社)の巻末座談会である。

山本弘 誤解されないように言っておくと、僕は以前から原発反対派なんですよ。原発はこれ以上増やさない方がいいと思ってたし、福島第一原発の事故が起きてからは特にそう思うようになりました。事故が発生した場合の影響の大きさを考えると、やっぱり原発はやめた方がいい。ただ、今すぐすべて廃止してしまうのは無理がある。電力が足りなくなることで、かえって多くの人が危険にさらされるかもしれない。代替エネルギーを確保しつつ、10年以上かけて、少しずつ廃止していくべきだろうと思うんです。

 ただ、原発が嫌いであっても、「微量の放射線でも危険だ」という極論には与したくない。嘘で不安を煽るのは明らかに間違ってるし、被災者の差別にもつながるから。

 他にも、僕は小説の中でしばしば原子力を否定的に扱ったり、放射線の危険を題材にしたりしている。『妖魔夜行 魔獣めざめる』の中で空母エンタープライズの原子炉が日本近海でメルトダウンを起こしかけたり、中編「審判の日」で原発が爆発したり、『MM9』で放射能怪獣グロウバットを出したり、『地球移動作戦』で登場人物が急性放射線障害で死んだり、『去年はいい年になるだろう』でエクスキューショナーが2万8000発の核ミサイルを撃ちまくったりしたのも、僕の核嫌い、原発嫌いの心情の影響である。

 こうした明白な証明がある以上、「山本弘原発推進派だ」という根拠のないデマは、二度と言わないでいただきたい。