「インディアナポリス」問題:『神は沈黙せず』の場合
今回のような悶着が起きるのは、これが最初ではない。というか、小説家なんてやってると、しょっちゅうぶち当たる問題なんである。
これまで体験したいちばん笑える例は、2006年10月、角川書店から『神は沈黙せず』の文庫版を出した時のことである。当時のmixi日記からそのまま引用する。
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角川より連絡。『神は沈黙せず』の文庫版のゲラにまたチェックが入ったので見てほしいという。
はて、ゲラはもう返したはずだが……と思ったら、何でも『TVブロス』が抗議を受けたという事件があって、角川も差別問題に今まで以上に過敏になっているという。
ちなみに『TVブロス』の差別問題というのは、あるライターがカンヌ映画祭についての記事の中で「エタヒニン」という言葉を使ったというものらしい。そんなことを書くライターもライターだが、通してしまった編集者もバカである。要するに差別問題に関する知識も関心も自覚もまるでなかったわけで、問題になるのは当たり前ではないか。
それでこっちまでとばっちりを食うんだから、たまったもんじゃない。
返ってきたゲラの量が、けっこう多い。例によってびっしりチェックが入っている。
だが、チェック箇所を見て大笑いである。さあ、みなさんもいっしょに笑っていただきたい。
>ネットに流れた情報だけを盲信した人々が
>精神病院に入院させられているとか
>地球が狂いはじめているのではないだろうか
>まったく根拠のない盲信にとらわれていて
>狂信的な熱情にかられて行動した
>たちまち悪臭漂うスラムと化した
>自分の中にも狂気がひそんでいる可能性
>強いボスに盲従する猿たち
>いみじくもドーキンスが言ったように、「盲目の時計職人(ブラインド・ウォッチメイカー)」なのだ。
>兄は狂っているのだろうか。
>超能力者の言葉を盲信する
>宗教的盲信から信じたのでもない
>論理ではなく盲信で動いてるんじゃないか
>狂信的な集団
>よく発狂しなかったものだと
>悲しみのあまり狂乱したことも
>怒り狂った群集によって
>頭のおかしい人間が行なった未熟な犯行にすぎず
>狂信的な宗教独裁国家
>ポルターガイストの荒れ狂う施設
>兄の精神に問題があるかのように言うなんて!
>熱狂的な加古沢ファン
>熱狂的に受け入れられた
>その熱狂の蔭に隠れて
>精神錯乱が多発した
>結束と狂信性を強めた
>ファンの狂騒に踊らされることは決してなかった
>熱狂的な快哉
>狂気と正気の境界線をどこに置くか
>混沌となった感情が荒れ狂った
>狂気に蝕まれている自分に言い聞かせた
ぜいぜい、書き写すだけでも大変だ。これでもチェック箇所の半分ぐらいなんである。
つまり「狂」「盲」という字すべてにチェックが入ってるんである。たまらん。
だいたい『ブラインド・ウォッチメイカー』を他にどう訳せと? つーか、「ブラインド」はOKで「盲目」はダメという根拠は何だ?
いちばん笑ったのは、
>私はぽかんと口を開けた。盲点だった。
「盲点」にもチェックが!?(笑)そりゃ盲点だったわ。いやもうこれは床にひっくり返って笑ったよ。
>馬丁の娘
>老婆の横顔
という部分にもチェックが入った。「馬丁」も差別語とは知らんかったよ。つーか、これをどう言い換えろというのだ?
なぜ「老婆」が差別語認定されているのか、編集さんも首をひねっていた。おそらく、かつて「婆あ」という侮蔑的表現が問題になったことがあって、そこから拡大解釈して「婆」という漢字すべてを自粛することになったのではないかと想像するが、今となっては真相は分からない。
>電波系
という単語にもチェックが入った。「サイコ」という言葉がまずいらしいのだ。冗談じゃねえよ! ヒッチコックの映画はどうなるんだよ!? つーか、「サイコキラー」なんて言葉、日常的に使ってるだろ。
>かなり節操のない日本的キリスト教徒だったようだ
という部分にもチェック。「『日本のキリスト教徒は節操がない』と誤読されるおそれがあるのでは?」というのである。いねーよ、そんなひねくれた誤読する奴。お前だけだよ。
>日本各地の福祉施設に収容された何千人もの子供たち
という部分にもチェックが入った。「収容」という言葉がいかんので「預けられた」に改めろという。なぜ? 分からん。
さらに笑えたのが、アメリカ国内でイスラム原理主義者やキリスト教右翼によるテロが起きるというくだり。校正者の意見によれば、
「フィクションですが、偏見を助長するおそれがあるのでは?」
アホかああああーっ!
実在の集団による犯罪行為をフィクションの中で描いてはいかんというのなら、スパイ小説もポリティカル・フィクションも書けんようになるわーい!
出版業界で生きる人間が、自分の首絞めてバラバラにして埋葬するようなことを言い出すんじゃねえええーっ!
> あるいは、ネットでベストセラーになったコミック『サンバーン』の作者、三崎純へのインタビューという話もあった。参考のために読んでみた私は、すぐに編集者に電話をかけ、「この仕事は別の人に回して」と依頼した。身障者の少女をレイプし、いじめ抜いた末に殺害する主人公の姿と、それをギャグを交えてあっけらかんと描く作者の姿勢は、私には反吐が出そうなほど不快だった。紙の本が出版物の主流で、出版業界のモラルが守られていた時代には、とうてい陽の目を見なかった作品だ。こんなものを描く人物がいることにも、それを夢中になって読む大衆がいることにも、やりきれなさを覚えた。
という部分にもチェックが入った。だからさ、主人公は差別意識に対する激しい怒りを表明してるんだよ? あんたちゃんと文章の意味、理解してる?
25章のこんなくだりにもチェックが、
> テキサス州アマリロの市庁舎では、玄関ホールの天井から長さ五メートルもある巨大な足がぬっと突き出した。職員や市民を驚かせただけで、すぐに消えてしまったものの、監視カメラには人間の一〇倍ぐらいのサイズがある白い素足がはっきり映っていた。明らかに黒人の足ではないことから、白人優越主義者はまたもや「神は白人であるという証明だ」と主張した。
> ところがその四日後の夕刻、今度はニューメキシコ州フォート・サムナー郊外の住宅街に、巨大な裸の黒人が出現した。それは一〇人以上の目撃者たちの前で、身長一・二メートルから六メートルまで大きさを自由に変えたという。今度は黒人たちが「神はやっぱり黒人だった」と主張する番だった。
どこがまずいと思います?
なんと、「黒人」という単語すべてにチェックが入ってるのである! ええー、「黒人」もNG用語!? んなアホな!
『神は沈黙せず』をお読みになった方ならお分かりのように、この小説には僕自身の、身障者差別・人種差別・民族差別に対する強い嫌悪が随所に反映されている。
差別問題を扱うのだから当然、差別的発言をする登場人物も出てくるわけだが、それにすべてチェックが入った。「朝鮮の手先」「あつらは犯罪者ばっかりだ」とかである。
だからさ、この小説は差別を糾弾してる内容なのに、何でびくびくして自粛しなきゃならんわけ? おかしいじゃん!
最初は笑ってたが、だんだん腹が立ってきた。
この校正者の野郎、自分では何も考えてない。機械的に「狂」「盲」という字を検索しているだけである。ある表現が差別に当たるかどうか自分で判断することを放棄して、著者に全責任を押しつけている。それはつまり、「私は差別問題なんか分かりませーん」「責任とりたくありませーん」と宣言しているようなもんではないか。
そういう意識こそ差別なんだと、どうして気づかん!?
でもって、これまで小説の中で差別問題を何度も描いてきた僕が、何で今さら糾弾を恐れなくちゃなんないんですかい!?
こわくないよ、そんなの。万が一、同和団体に糾弾されたって、これまで自分が書いてきたものをずらっと並べて、「あなたの方こそ不勉強です。これを読んでください。僕はこういう作家です」と、逆に教育してやるよ。
ちなみに、サーラ外伝「死者の村の少女」は、「名もなき狂気の神」の暗黒司祭に支配された村が登場する。こいつはもろに気ちがいである。だもんで「狂気」「発狂」「狂う」という表現がストレートに頻出する。
先日、ゲラが返ってきたが、案の定、表現にはほとんどノーチェックである。そりゃそうだ。僕は差別表現にならないよう考えて書いてるもの。
それを角川の編集さんに愚痴ったら、
「いや、ファンタジア文庫とは影響力が違いますから……」
えー、でも部数だけ見たら、『サーラ』の方が『神は沈黙せず』より売れてるんですけど(笑)。
【追記】
後で編集さんから電話。校正者のチェックの入ったゲラを1枚送るのを忘れてたんで、いちおう確認してくれという。
どういう箇所かというと、
>カメラは群集にもみくちゃにされながら、感激して涙ぐむ中年女性、興奮して喋りまくっている黒人男性、大声で歌っている若い娘、狂ったように踊り回る少年、きょとんとしている幼児、複雑な表情で群集を整理している警官を映し出していた。
はーい、みなさん、もうお分かりですね。「黒人男性」と「狂ったように踊り回る」にチェックが入ってたの(笑)。
編集さんも笑って「これはもうスルーでいいですよね」と言う。スルーだスルー、みんなスルー!
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ちなみにこの時の体験は、短編「七パーセントのテンムー」(『シュレディンガーのチョコパフェ』に収録)に反映させている。今後も、僕を怒らせたら、即座に小説のネタにするからね(笑)。
誤解されないように、二点注意しておく。
角川書店の本でこんなにも厳しいチェックが入ったのは、後にも先にもこの時だけ。文中にもある『TVブロス』事件の影響で、角川書店全体が「また抗議が来るのでは」と過敏になってたらしい。いや、いくらなんでも「黒人」とか「サイコキラー」と書いたぐらいで抗議なんか来ませんってば。
また、この時は担当編集者(『去年はいい年になるだろう』にもご登場いただいた主藤雅章氏)が大変に理解のある方で、校正者のばかげた指摘を「こんなのはみんな突っぱねましょう」と言ってくださったので、まったく直さずに済んだ。
ただ、角川で差別表現が議論になったことがないわけではない。
『神は沈黙せず』の最初の単行本の時、ヒロインの台詞で一箇所、差別表現じゃないかと主藤氏に指摘され、議論した挙句、結局、僕の方が確かに差別表現だと認めて書き直したことがある。
『アイの物語』の時は、アンドロイドが「狂う」という表現が差別的ではないかという指摘が校正者からあり、主藤氏と二人で悩みまくって、結局、「機械であるアンドロイドの場合、時計が“狂う”のと同じであり、差別表現ではない」という結論に達し、校正者を納得させた。
こんな風に、作家と編集者がいっしょになって「差別表現かどうか」を考えるのが正しい姿勢だと思う。
ただ、すべての編集者が主藤氏のように理解があるわけじゃなく、中には作家の意志を無視して書き換えを要求してくる人もいるということは知っておいてもらいたい。