二人の偉大な超常現象研究家の死

 もうご存知の方も多いだろうが、7月3日、と学会の創設時からのメンバーである志水一夫氏が亡くなられた。享年55歳。

 ガンが発見されて入院されたのが5月下旬。僕は6月5日、トンデモ大賞の前日に、病院に見舞いに訪れた。

 その時、志水氏はベッドに横たわってはいたものの、意識も喋り方もとてもしっかりしておられた。

「すいませんねえ。『トランスフォーマー・ザ・ムービー』のビデオ、借りっぱなしになっちゃってまして」

 と言われたので、ちょっとびっくり。15年ぐらい前に貸したまま戻ってこないんで、てっきり忘れられているものと思っていた。

「いえいえ、そんなの気にしなくていいですから。早く良くなってください」

 などと会話したのを覚えている。

 翌日のトンデモ本大賞の楽屋では、「志水さん、元気そうだったよ」「あれならすぐに退院できるんじゃないかな」と、みんなに報告したものだ。

 それから1ヶ月も経たないうちの、突然の死である。

 先日の中里融司さんもそうだけど、人間って本当にあっけなく死んでしまうものだ。

 志水さんの最大の功績というと、やはり 『UFOの嘘』(データハウス・1990)だろうか。

 UFO番組やUFO本なんてどうせ嘘っぱちだろう……と思っていても、それを実際に検証した人はほとんどいなかった。志水氏は、矢追純一氏をはじめとする自称「UFO研究家」たちのいいかげんさや、UFO番組のデタラメさを暴露した。

 翌年に出た『大予言の嘘』(データハウス・1991)でも、予言や占いというものがいかに根拠がなく、当たらないものであるかを検証してみせた。

 だが、その一方で志水氏は、霊や超能力の存在を信じる、いわゆるビリーバーであった。

 ある人から、「あなたは超常現象の存在を信じるのか?」と訊ねられ、こう答えていた。

「『信じるのか』という質問はおかしい。私は空気が存在するのと同じように、超常現象が存在することを知っています。『あなたは空気の存在を信じるのか?』などと質問する人はいないでしょう?」

 それほどのビリーバーであるのに、志水氏は通俗的なオカルト情報を批判し続けた。矛盾しているように思われるかもしれないが、本物の超常現象研究家・UFO研究家には、こうした懐疑的な人が少なくないのである。すでに亡くなられた高梨純一氏などもそうで、UFOの存在を信じているにもかかわらず、UFO写真のトリックを暴き、MJ-12文書の嘘を暴き、矢追純一UFOスペシャルのデタラメさを非難していた。

 僕も皆神龍太郎氏も超常現象の存在を信じてはいないが、それでも志水氏とは良き友人であり続けた。

 ビリーバーと懐疑主義者は相反する概念ではない。両者は歩み寄れるし、一人の中で両立することも可能だ――それを志水氏は自らの人生で示してみせた。

 偶然だが、同じ日にアメリカのUFO研究家ジョン・キールも亡くなっていた。

 キールの『モスマンの黙示』(国書刊行会)を初めて読んだ時は、興奮したものである。有名なモスマン事件を扱ったものなのだが、そこいらのUFO本とはまるで違う。モスマンを安易に宇宙生物にしたりしないのだ。

 UFOは異星人の宇宙船なんかじゃない。そんなのは一部の研究家やマスコミが宣伝している概念にすぎない。UFOとは、何かもっと高度で、理解不能で、異様なものなのだ……というのがキールのスタンスだった。

モスマンの黙示』の中では、事件を調査するキールの周囲に、次々と不気味な現象が頻発する。異星人説なんかでは説明のつかない不思議なシンクロニシティ。その語り口の上手さの絶妙なこと。そんじょそこらのホラー小説よりもぞくぞくくるし、エキサイティングだ。まあ、キールの創作も多く混じってるんだろうが、嘘でもこんなに面白けりゃ許せてしまう。

 僕の『神は沈黙せず』も、かなりキール的世界観の影響を受けている。

 この一冊でキールのファンになり、『ジャドウ』とか『失われた惑星文明』とか『UFO超地球人説』とかを古本屋で探して読みふけったものだ。

 なお、『モスマンの黙示』は2002年に『プロフェシー』という題で映画化され、その日本公開に合わせて『プロフェシー』という題でソニー・マガジンズから新訳が出ている。おすすめである。

 キールの死が奇しくも志水氏と同じ日だと知った時には、その奇妙な偶然の一致に、「いかにもキールらしい」と思ったものである。