コミケにトンデモさん襲来

 コミケ最終日。ブースに来ていただいたみなさま、ありがとうございました。

 唐沢俊一氏のブースで偽札が見つかったとかで騒ぎになっていた。カラープリンタで作ったらしい偽1000円札で700円の本を買っていった奴がいたんだそうだ。

「『低額紙幣で偽札を作っても割に合わない』という常識の裏をかいた犯罪」(笑)という説もあるけど、たった300円のお釣りと同人誌1冊を騙し取るために、無期又は3年以上の懲役(刑法第148条)の危険を冒すって、あまりにもバカすぎる。

 たぶん愉快犯だと思うけど、「軽いいたずらだから捕まっても軽い刑で済む」と勘違いしてたんだろうという解釈に一票。何にしてもバカ。

 僕のところにも変な奴が来た。閉会まで1時間を切ったあたりで、売れ残りを家に送り返そうと箱に詰めてたら、「山本さんですか」と話しかけてきた男がいたのである。

 話を聞いて、すぐに思い出した。彼のことは昨年、『トンデモ本の世界X』(楽工社)のあとがきで取り上げたことがある。

 二〇一一年四月、僕のブログに長文のメッセージが書きこまれた。ひどい内容なので速攻で削除したのだが、あまりにバカバカしくて笑えたので保存しておいた。

 その人は『まどか☆マギカ』の四話と五話だけ(ちょうどストーリーの山場の間の、やや中だるみしていた時期だ)を見て駄作だと決めつけ、こんな作品がヒットするなんてあるわけがない、これは製作会社のシャフトの陰謀だと主張していた。本当はヒットなどしておらず、ネットの評判はみんなシャフトの工作員が書きこんだもので、DVDの売り上げの数字なども操作されているというのだ。

 もちろん、ネット上にあふれかえっている賞賛の声を見れば、実際に『まどか☆マギカ』に多くのファンがいるのは歴然としているのだが。

 その人は「もちろん、確実な証拠もないので推測の域を出ませんが、自分的には確実にシャフトの工作があると思っています」と書いていた。確実な証拠がないのに確実だと信じるというのは、まさに妄想である。

 この人と同一人物かどうかは分からないが、以前にも似たようなメールが来たことがある。そちらは『こち亀陰謀論秋本治こちら葛飾区亀有公園前派出所』の連載がいつまでも終わらないのはおかしい。あれは連載を終わらせないため、作者が自分で単行本を買い占めて、売れているように見せかけているに違いない……と真剣に主張していた。

 作者が自分で本を買い占め(笑)。そんなバカなこと、誰がやるものか。一冊出すたびに何千万円という赤字になるではないか。

 ははあ、陰謀論というのはこうやって生まれてくるのだな……と僕は大笑いしつつも納得したものである。

 やって来たのは、その『まどマギ陰謀論を唱える人物(以下、Bという仮名で表記する)だった。1年以上前に僕のブログに書きこんだコメントが削除されたのを、ずっと恨みに思っていたらしい。僕に直接、抗議に来たのだ。「あなたは卑怯だ」「あなたは卑怯だ」と何度も繰り返す。コメントに反論せずに削除したのが卑怯だ、というのだ。

 いや、明らかにトンデモなうえに、特定の団体を誹謗中傷するデマを書きこまれたら、削除するでしょ、普通?

 あまりにしつこいので、売り子をしてくれていた友人のN君が語気を強くして、「いいかげんにしなさい」と注意すると、Bは驚いた様子で、

「あのヤクザみたいな人は何ですか!? 私を脅しましたよ!」

 いやいや、彼は堅気のゲーマーだから(笑)。

 荷造りを終えて、ダンボール2箱をカートに載せ、ゆうパックの受付に向かう。ところがBはしつこく後ろについてきながら自説を喋りまくる。『まどマギ』みたいな駄作がヒットするはずがない。あの作品に人気があるなんて嘘だ。あれはみんなシャフトの工作なんだ、と力説する。

 ……思い出していただきたいのだが、ここはコミケ会場である。カタログを見ると、1日目だけでも、『まどマギ』系のサークルが160以上あることが分かる。3日目もあちこちで同人誌を売っていたし、まどかやさやかやマミのコスプレをしている人とも何度もすれ違った。昨年よりは少なくなっているものの、番組終了して1年以上経つのに、まだ人気が持続していることが如実に分かる場所なのだ。

 しかしBには、自分の周りにあるその現実が見えていないらしい。

 Bは、僕がブログで『まどマギ』を絶賛したのがどうしても許せないようだ。どうも僕がシャフトから金を貰って宣伝工作をしていると疑っているらしいのだ。

「あのねえ。『まどマギ』を褒めてる作家って僕だけじゃないんですよ。あの作品は日本SF大賞の候補になったの。授賞は逸したけど、宮部みゆきさんたちが絶賛してたんですよ」

「それはそう言わないと危険な状況に追いこまれてたんですよ!」

 何だよ危険な状況って!?(笑)

 ちなみに日本SF大賞の選評は『読楽』(徳間書店)2012年2月号に掲載されている。そこから選考委員が『まどマギ』に言及した部分を抜粋してくださっている方がいるので、参考にしてほしい。

人気作家たちによる、「魔法少女まどか☆マギカ」の感想色々

http://alfalfalfa.com/archives/5127491.html

 中でも特に、宮部みゆきさんが熱く語っているので抜粋しよう。

 十二話で構成されているアニメーション『魔法少女まどか☆マギカ』は、お預かりしたときには戸惑いました。少女だった時期は遥かに昔、五十路に入って、しかもアニメ作品には疎いこの私が、今さら魔法少女についていかれるものだろうか。

 いざDVDを観始めたら、そんな戸惑いは吹っ飛んでしまいました。映像のクオリティに驚き、一話目で早々と登場する〈魔法の結界〉のイメージの奇抜さと美しさに目を瞠り、二話、三話と観続けるうちに、健気な魔法少女たちに魅了されてしまいました。これから観る方のために細部を記せませんが、この作品はよき企みがあるミステリーとして幕を開け、それぞれに自己実現を希う少女たちの友情物語として進行し、終盤でミステリーの謎解きのために用意されていたSF的思考が披露されるという、実に贅沢な造りになっています。

 選考会でも記者会見でも、私は「十一話と十二話でだだ泣きしました」と申し上げたのですが、後でチェックしてみたら、最初に泣けてしまったのは第七話でした。それは別に、私がかつて不器用な少女であったからではありません。「誰かの幸せを願った分、別の誰かを呪わずにいられない」。作中で繰り返されるこの言葉は、見事に人間の業を言い当てています。それが、年齢性別を問わず、観る者の心を揺さぶるのです。今回、小説の方に桁違いの傑作があったことで損をしてしまいましたが、私には忘れがたい作品でした。

 このように、みなさん高く評価している。ただ、冲方氏や豊田氏や堀氏が指摘するように、SFとしての部分が弱かったのが、受賞作(上田早夕里『華竜の宮』)に及ばなかったところだろう。

 ところがBによれば、こうしたコメントはすべて選考委員が「危険な状況に追いこまれてた」からだという。つまりシャフトから脅迫を受けて、心にもないことを無理に言わされたというのだ。

 そりゃまたすげえ影響力あるもんだなシャフト(笑)。なんかイルミナティみたいな闇の秘密結社をイメージしてんじゃないのか。

 さらにBは、『化物語』の人気も工作だと主張する。「あんなひどいアニメがヒットするなんておかしい」と言うのだ。

「だって、ぜんぜん動かない紙芝居みたいなエピソードがあったんですよ!」

 いやそれ、演出だから(笑)。

 言うまでもないことだけど、『化物語』の原作はほとんどが会話で成り立っているので、アニメにしても「紙芝居」にしかなりようがない。むしろ少ない枚数でいかに面白く見せるかが演出家の腕の見せどころだ。

 僕がその「シャフト美学」とでも言うべきもののすごさを痛感したのは、『ef - a tale of memories.』の7話の留守電のくだりである。ただ画面を文字が埋めてゆくだけなのに、下手にキャラを動かすよりもはるかに強烈な緊張感と戦慄を生み出している。それまでも『ぱにぽにだっしゅ!』とか『ネギま!?』とか見てたんたけど、『ef』の衝撃は桁違いだった。「アニメってべつに動かさなくてもいいんだ」というのを思い知らされた。

 こういうのはアニメをちょっと知ってる人間なら誰でも分かる程度のことのはずなんだけど、Bには理解できないらしい。

 いいかげん嫌になって、「言いたいことがあれば自分のブログででも書けばいいでしょ」とか「そんなに僕が嫌いなら僕に近づかなきゃいいでしょ」と言うのだが、Bは「あなたは卑怯だ」としつこく繰り返し続け、ぴったりくっついてくる。

 ようやくゆうパックの搬出場所に到着したが、僕が送り状に住所を書こうとしているのに、Bは僕のすぐ近く、字が読めそうな距離に突っ立っている。これはさすがに気持ちが悪い。

「あのねえ、あなたに僕の住所を知られるわけにいかないから。どっか離れて。遠くに行って」

 そう言ったのだが、彼は「あなたは卑怯だ」と言い続け、離れようとしない。

 そこに心配して駆けつけてきたN君が、「いいかげんにしろ」と胸を軽く小突いた。とたんにBがわめきだす。

「暴力をふるわれた! ヤクザみたいな男が私に暴力をふるった! 私が何もしていないのに先に手を出してきた!」

 すぐにN君が「悪かった」と謝り、さらにBをひきずっていってくれたので、ようやく僕は送り状を書くことができた。

 もちろんその時はひどくむかついたのだが、時間が経ってみると、だんだんBのことが哀れになってきた。1年以上前のことを蒸し返すためにわざわざコミケに来るより、嫌いな『まどマギ』のことなんか忘れて、そのエネルギーをもっと別のことに使えば、はるかに有意義だろうに。

 しかし、僕の声は決して彼には届かないだろう。彼が生きているのは現実の世界ではなく、パラレルワールドだからだ。彼の目に映る世界では、『まどか☆マギカ』はヒットしておらず、宮部みゆきさんたちがシャフトから脅迫を受けていて、N君はヤクザなのだ。

トンデモ本の世界X』のあとがきのつづきを引用しておこう。

 食べ物だろうとアニメだろうと、はたまた芸術作品だろうと政治思想だろうと、すべての人間に支持されることは決してない。必ずそれを好きな人間と嫌いな人間がいる。それは当たり前のことである。絶対的に正しい評価というものはない。

 しかし、それが理解できない種類の人間がいる。自分が好きなものは絶対的に素晴らしいものだとか、自分が嫌いなものは絶対的にダメなのだとか思ってしまう人間が。その信念を否定する情報が入ってくると、彼らは「その情報は間違っている」と考える。

 僕は小説『アイの物語』の中で、ゲドシールドという造語を使った。「ゲド」というのは特に意味のない言葉で、語感を優先して作った。哲学か認知心理学の分野で似たような概念はあるのかもしれないが、個人的には「ゲドシールド」という語感が気に入っているので使っている。

 僕たちは世界をじかに認識しているのではない。世界はあまりにも巨大で複雑すぎて、人間の頭脳では処理できないからだ。そこで人間は、世界を大幅に簡略化してイメージする。自分の周囲の壁に、自らが作ったシミュレーションモデルを投影し、それを見て「これが現実だ」と思いこんでいる。その壁がゲドシールドだ。

(中略)

 先の例で言うなら、「『まどか☆マギカ』は駄作である」「ヒットするはずがない」というのが、この人の脳内のシミュレーションモデルだったわけである。ところが現実にヒットしている。にもかかわらず、この人はモデルの修正を認めず、「ヒットしているなんて嘘だ」という幻想を新たに構築し、ゲドシールドに投影しているのである。

 陰謀論やトンデモ説が生まれる背景には、人がゲドシールドの存在を意識していないことがある。自分の脳が創造したモデルを仮想現実だと認識できず、生の現実だと信じているのだ。もちろん、そうした傾向は誰にでもあるのだが、特に陰謀論者やトンデモ説の提唱者はそれが強い。ゲドシールドのモデルと外にある本物の現実に矛盾が生じると、彼らは「誰かが事実を隠している」とか「陰謀が行われている」とかいう新たな幻想を構築して、現実の方を修正し、モデルを守ろうとする

(中略)

 僕は『アイの物語』の中でDIMBという言葉も創作した。ドリーマー・イン・ミラー・ボトル(鏡の瓶の中で夢見る者)――鏡でできた瓶の中に閉じこもり、周囲に映る自分自身の姿を外界だと思いこんでいる者、という意味である。

 DIMBにならないためには、「僕らが見ているものは現実そのままではない。脳が構築した仮想現実なのだ」ということを認識する必要がある。「私の考えに間違いがあるはずがない」とか「私は世界の真理を知っている」なんて、絶対に思わないことだ。

 言い換えれば、本物の世界の巨大さに対し、謙虚になるべきなのだ。世界は一人の人間の脳ではとうてい理解できないほど大きい。僕たちはちっぽけで不完全であり、この世界のことを一万分の一も認識できない――その事実を素直に認めるべきなのだ。

 それは絶望や敗北主義ではない。世界を――脳内の仮想現実ではなく、ゲドシールドの外にある本物の現実に敬意を払おうということなのである。

 最後に、ちょっとだけ宣伝。今度、『メフィスト』で連載を開始する作品(SFではなく、SF的な設定を用いたミステリ)は、「僕らが見ているものはすべて、脳が構築した仮想現実だ」というのがテーマである。