中野と神田で古本買いまくり(後編)

●R・リンドナー『宇宙を駆ける男』(金沢文庫・1974)

 前に図書館で借りて読んだんだけど、ぜひ手に入れたくて30年以上探していた。ようやく入手できて感激。

 精神分析医が自分の扱った患者のことを描いたノンフィクションなんだけど、何と言っても表題である「宇宙を駆ける男」がエキサイティング。自分が未来の宇宙のヒーローだと思いこんでいるカーク・アレン(仮名)。現在に暮らしていながら、自由に未来世界に生きている自分にもなれる。

 彼がすごいところは、自分が未来世界で見聞きしたことを膨大な量の記録にまとめていること。タイプ原稿による1万2000枚の「伝記」。100ページ以上の人名、地名、用語の事典。82枚の綿密な極彩色の地図。161枚の建築物見取り図と立面図。18ページの星座系の説明書。カーク・アレンの支配する王国の歴史が200ページ。さらに膨大な量の論文……とにかく、とてつもなく壮大な妄想体系を構築してしまっているのである。

 リンドナーは表面上、アレンの妄想につき合いながら、些細なミスを指摘することで、妄想を崩してゆく。ついに妄想から覚めるに至る過程も面白いんだけど、はたして治療されることがアレンにとって幸せだったのかどうか。

●高梨純一『空飛ぶ円盤騒ぎの発端』(高文社・1974)

『UFOはもう来ない』のヒロイン・木縞千里の祖父、UFO研究家・木縞一利。そのモデルが、この高梨純一氏である。 作中でも書いたけど、UFOの存在を信じながらも、インチキ情報や珍説を徹底的に論破するというすごい人だった。

 この人の著書はコンプリートを目指している。『空飛ぶ円盤実在の証拠』『世界のUFO写真集』『UFO日本侵略』は持ってるんだけど、他にもまだ『空飛ぶ円盤の跳梁』(高文社)という本があるらしい。

 これはタイトル通り、アーノルド事件に端を発する初期のUFO騒ぎについて解説した本。

●セドリック・アリンガム『続・空飛ぶ円盤実見記』(高文社・1956)

「あれ? アリンガムの本ってもう一冊あったの?」と疑問に思って買ってみたら、中身は前に買った『火星からの空飛ぶ円盤』(高文社・1973)と同じでした(笑)。

 要するに、アダムスキーの『空飛ぶ円盤実見記』が当たったもんで、最初はそれの続編みたいなタイトルで売って、後でタイトルを変えて再版してたんだ。

●『季刊映画宝庫 SF少年の夢』(芳賀書店・1978)

スター・ウォーズ』日本公開の直前に発売された、古今東西のSF映画をまとめた本。僕らの時代の特撮ファンのバイブル。まだ見ぬ作品の数々に、胸がときめいたっけねえ。

 もちろん、当時買ったのをまだ持ってるんだけど、読みすぎてボロボロになっちゃったもんで、新たに美本を手に入れた。

 冒頭の長い座談会(石上三登志手塚治虫森卓也・大空翠・北島明弘)や、筈見有弘「幻の日本SF映画『空気の無くなる日』を追って」などの記事も面白いんだけど、巻末の石上三登志「テレビでこんなにSF映画を見た」というリストが圧巻。

 60〜70年代にテレビで放映された日本未公開映画やTVムービー93作品を紹介。石上さん、『大蜥蜴の怪』とか『女宇宙怪人OX』とか『戦慄!プルトニウム人間』とか『人喰いネズミの島』とか見まくってんだよなあ! もちろん家庭用ビデオなんて普及してない頃だ。この熱意には頭が下がる。『恐怖のワニ人間』に、「頭の上に“こっち”向きのワニがのっかっているというのは、よくよく考えると、ちょとおかしいんだけどねえ」とツッコミを入れるのも忘れない。

 石上三登志さん、僕らの偉大な先輩でした。

たかや健二『ぼくの藤子スタジオ日記』(ネオ・ユートピア・2011)

 これは古本じゃなく、藤子不二雄ファン・サークルから出た同人誌。藤子プロのアシスタントだった作者が、当時の思い出話をマンガにしたもの。『スター・ウォーズ』の日本での公開前、社員旅行でハワイに行ってみんなで見てきたとか、アシスタントの仕事が終わるとすぐ『コロコロ』編集部に行って『プラコン大作』を描いてたとか、当時を知る人間なら楽しい話ばかり。

 何と言っても、ザンダクロス誕生の裏話が興味深い。

「いよいよ明日か! 明日にはついに主人公の巨大ロボットが誰よりも早く見られる!!」

 と期待していたら、藤本先生に、

「たかや君、デザインしておいて!」

 と丸投げされたのだそうだ(笑)。でもって、一晩かかって必死に考えたのがザンダクロス。いちおう百式の名もちらっと出てきて、影響を受けていることはほのめかしてる。

 他にも、某マンガ家がテレビで「藤本先生はアイデアだけで、絵はアシスタントが描いてるんだよ!」と言ったことに対し、

「だんじてそんな事はないのだ!! コマ割り、下描き、時には背景の下描きまでするぞ!」

「もちろんキャラクターの顔はどんな時でも自分でペンを入れていたのだ!!」

 と反論している。貴重な証言である。