単行本を雑誌と間違える人

 ちょっと前に、本をラー油と間違える人たちをご紹介したが、今度は単行本を雑誌と間違える人が現われた。  阿修羅板なんてバカバカしくて普段は読まないのだが、『9.11テロ疑惑国会追及』の著者の一人の「バルセロナより愛を込めて」こと童子丸開氏が、『トンデモ本の世界W』への反論を書いていると聞いて、読みに行ってきた。  そしたらいきなり大爆笑。 http://www.asyura2.com/09/warb1/msg/323.html
「と学会」の雑誌トンデモ本の世界W(楽工社)」を日本の友人から送ってもらい、読んでみました。 結論から申しますと、「この雑誌はもう終わりだな」ということです。 その記事を書く人とそれを掲載する雑誌が こういう他人の書いた本を「詐欺本」呼ばわりする雑誌を作って ●今回は、この「トンデモ本の世界W」から「民主党を汚染するトンデモ説(山本 弘)」という記事について、この記事と雑誌が、
 何度も何度も「雑誌」と書いている。この人、マジで『トンデモ本の世界W』を「雑誌」だと思いこんでいるのだ!  日本の友人から送ってもらったとのことだが、ページをスキャンしたものだけ送ってもらって、実物を手にしていないのかもしれない。それにしても『トンデモ本の世界W』というタイトルで雑誌だと思いこめるって、どういう器用な勘違いなんだろうか。
●そもそも「トンデモ本」とは何か、というと、きっと、 ◎全く根拠の無いことを事実であるとする虚偽が数多く書かれ、読者を事実に基づかない虚構の世界に導く、詐欺的な内容が書かれた本、 ということなのでしょうね。 要は、 ◎書かれている多くの事柄について「事実である」と証明することができず、 ◎それらの「事実である」と証明できないようなことを根拠にして「真実はこうである」と断定し、 ◎その断定によって、読んだ人々の社会的な出来事に対する判断を狂わせ、 ◎そのことによって製作者が直接・間接に利益を得る、 ◎社会的に許しがたい本、ということになるのでしょう。 早い話が「トンデモ本」とは、単なる嘘のばらまき、詐欺、ペテンを目的とした本、というわけですね。違いますかな?と学会さん。
 違います(笑)。トンデモ本の本来の定義は、「著者の意図とは異なる視点から楽しむことができる本」である。  だいたい、知らないなら検索しなさいよ、Wikipediaでも何でもいいから。調べずに思いこみだけで書くから、ああいうデタラメな本になっちゃうんだよ。
 まさに唖然呆然とすることなのですが、『9.11テロ疑惑国会追及 オバマ米国は変われるか』からの引用、そしてそれを「この部分は嘘である」と証明している箇所が、どこにも…、本当にどこをしげしげと見回しても…、1箇所たりとも見当たらないのです。  つまり、この記事の初めから最後まで通して、『9.11テロ疑惑国会追及 オバマ米国は変われるか』がトンデモ本であるとする判断の根拠が、何一つ書かれていないのです。
 嘘である。  僕は33ページでこう書いている。
 本書の中で藤田氏は、9・11をめぐる疑惑を列挙している。長くなるので詳述は避けるが、そのリストを見て、僕(=山本)は失望した。それらの「疑惑」なるものは、二〇〇七年に出版された奥菜秀次陰謀論の罠』(光文社)や、ネット上の反陰謀論サイトで論破済みのものばかりだったのだ。  特に次のサイトが、多くの疑問に対する回答を網羅しており、よくまとまっている。 ・分解『911 ボーイングを捜せ』 http://www.nbbk.sakura.ne.jp/911/index2.html ・9.11Plot(?)FAQ http://mltr.ganriki.net/faq10b02w02.html ・Skeptic’s Wiki http://sp-file.qee.jp/cgi-bin/wiki/wiki.cgi
 藤田氏らが言っていることは、とっくに論破済みのものばかりだ、と僕は(参考資料を明示して)言っているのだが、これでなぜ「判断の根拠が、何一つ書かれていない」ことになるのだろうか。  そもそも、『9.11テロ疑惑国会追及』の間違いを逐一指摘しようとしたら、『陰謀論の罠』や上の3つのサイトに書いてあることの繰り返しにしかならない。だから省略したのである。  他にも僕は、36〜38ページで、9.11陰謀論者の主張がいかに非論理的でつじつまが合わないかを書いているのだが、それに対する童子丸氏のまともな反論は何もない。
 山本氏がこの本を読まずに記事を書いたわけではないでしょう。氏は、東京工大の和田教授について書かれている本書153〜156ページの内容を要約し一部を引用していますが、それは彼が「この記述は虚偽である」と言っているものではありません。
 制御解体説をきっぱり否定している和田教授の言葉を、僕が引用していることが、なぜ「この記述は虚偽である」と言っていないことになるのだろうか?  童子丸開氏は、『9.11テロ疑惑国会追及』の中で、いろんな理屈をこねて制御解体説を主張しているだが、建築学や物理学の素人である童子丸氏の考察と、建築学の専門家である和田章教授学術研究、どっちが信頼できるかは分かりきった話ではないか。
 そして、そのブログにはどこにも「ジュセリーノを信用した」などと書かれていないのですが、
 藤田氏はジュセリーノのことを「スマトラ沖大地震阪神・淡路大地震東京地下鉄サリン事件、中国四川省地震イラクサダム・フセイン元大統領の逃亡先の所在、アメリカの9・11テロなど数多くの予言を的中させ」と断定調で書いているのだが、これは信用していることにはならないというのか?  どうもこの方の基準では、「この記述は虚偽である」とか「ジュセリーノを信用した」とはっきり書かないと、そう言っていることにならないらしいのである。どういう俺様基準ですか。  じゃあ、ここではっきり言おう。「童子丸開氏の記述は、建築学の専門家の研究によって否定されており、従って虚偽である」と。これでOKかな?
 さらに、記事著者の山本氏は、国家の指導者が自国民を殺すわけがないと、国家(アメリカ国家?)に対する忠誠心を遺憾なく発揮しておられるのですが、それでは戦争はどうなんですか?
 僕はそんなこと、どこにも書いていない。37ページでこう書いているだけだ。
 さらに大きな問題がある。そもそもアメリカ政府がペンタゴンを攻撃して大勢の軍人を殺す意味がどこにある? ニューヨークを攻撃するだけで十分だろう。
 ニューヨークで国民を殺せばいいだけで、ペンタゴンを攻撃する意味がないと言っているのだが、これを「国家の指導者が自国民を殺すわけがない」とすりかえるのはムチャクチャである。  単行本を雑誌を間違えた件もそうだが、この人には論理性とか文章読解力というものが根本的に欠如しているようだ。まあ、論理的な思考力のある人なら、そもそも非論理的な9.11陰謀説にハマったりなんかしないのだろうが。  ちなみに『週刊文春』11月5日号で、宮崎哲弥氏に『トンデモ本の世界W』を絶賛していただきました。ありがとうございます!