と学会がやっていたことは「弱い者いじめ」だったのか?・1

 先日、このブログのコメント欄に、こんな書きこみがあった。

http://hirorin.otaden.jp/e437829.html

山本さん、ツイッターで「僕はいじめ被害者だから、いじめる側の心理はわからないし、わかりたくもない」と言ってましたよね?

では、私が教えてあげましょう。あなたが「と学会」でやってた事、それ自体が「いじめ」です。

「こいつ、こんな変な本を書いてるんだぜ!」「こんな変な説を唱えてるんだぜ!」と、わざわざ商業出版本やイベントであげつらってましたよね。

単に書き手の無知や間違いを指摘したいだけなら、本人に直接言うなり手紙やメールを出すなりすれば済む事。

なのにあなたはそうせず、不特定多数が読む本で「バカらしい」「アホかほんま?」「無知としか言いようが無い」って何回書きましたっけ?

それどころか、大賞をくれた事を本心から感謝して礼状をくれた三上晃さんのことも、その文面を晒しものにして更なる笑いものにしてましたよね。

断わっておきますが、私もいじめの被害にあった事はあります。重度知能障害者の妹をネタにされてね。

靴にガムを入れられるなんて生易しいぐらいのいじめにあいました。

とはいえ、私は山本さんと違って諦めたりせず、罵倒を録音したり証拠を揃えたりしてマスコミに送りつけ、いじめっ子をきっちり叩き潰しましたけど。

そんな私から見て、あなたがと学会でやってきた事は、立派に「いじめ」です。

相手に反撃できないところから、仲間内で「あいつ変なこと言ってるぜ!みんなも見ろよ、面白いぜ!」と騒ぐのは、普通にいじめですな。

それをネタに本を出して金稼ぎに利用してた分、下手ないじめっ子よりタチが悪いです。

相手から直接金を奪ってない分、カツアゲをするいじめっ子よりはマシですけど。

「違う、僕がやったのはいじめじゃない」なんて言っても無駄ですよ、いじめっ子は皆そう言い訳するものですからね。

いじめってものは、「自分達と違うものを排除したい」「群れで生きていく以上、弱い者は邪魔になる」という本能から来るものです。

いじめは正当なものでも不当なものでもありません。

いつでもどこでも誰でも、加害者にも被害者にもなり得るものに過ぎないのです。

山本さんだって私だって、いつまた被害者になるかも、逆に加害者になるかもわからないのです。

いい加減に「自分はいじめの被害者」といつまでも言い続けるのはおやめになる事です。

あなただって、似たような事をやってたんですから。

 ちょっと前にもツイッターで同じようなことを言っている人を見かけた。どうも、僕やと学会について同様のイメージを抱いている人は多いらしい。いい機会なので、そういう人たちにまとめて反論しておきたい。

 実は、「弱い者いじめはよくない」という批判は、1995年、最初の『トンデモ本の世界』を出した時からすでにあった。それに対し、僕は翌年(今から20年も前である)の『トンデモ本の逆襲』のあとがきで、こう反論している。

 第一に、トンデモの勢力は決して「弱い者」などではない。『トンデモ本の世界』でも紹介したように、宇野正美、深野一幸、五島勉といった人たちの本は、いずれも大手の出版社から発売され、何万部、時には何十万部も売れているのだ。すなわち、「世界はユダヤ秘密結社に支配されている」とか、「太陽は熱くない」とか、「一九九九年に人類は滅びる」などと信じる人が、現代の日本に、何万、何十万という単位で存在しているということなのである。

 物理を知らない素人が「相対性理論は間違っている」と主張する本が、何万部も売れている。それに対し、まともな物理学者が相対性理論の正しい解説書を書いても、その五分の一も売れるか怪しい。万葉集朝鮮語で読めるとか、日本人の先祖はユダヤ人だといった本もよく売れるが、まともな言語学歴史学の本がそんなに売れることはない。常識的な説よりも、奇説を唱える本のほうがよく売れる傾向がある。多くの大衆は明らかにトンデモ本のほうを支持しているのだ。

 いったいどっちが「弱い者」なのか?

 無論、小さな出版社から細々と本を出している人もいる。しかし、彼らも決して孤立しているわけではない。その思想は多くの場合、長い歴史を持つほかのトンデモ思想と密接に関連しており、いわば大きなトンデモ勢力の裾野に位置しているのである。

 第二に、我々はこうした本を弾圧しようなどと思っているのではない。憎んでいるのなら、こんなに情熱をこめて本を収集できるわけがない。むしろ逆で、こうした奇妙な本を愛し、その奇想を楽しんでいる。そして、この楽しさをもっと多くの人に知ってもらいたいと思っているのだ。世の中には、学校では教えてくれないこと、教科書や百科事典には救っていないことがたくさんある。大きな影響力を持ちながら、これまで注目されたことのなかったそうしたサブカルチャーにスポットを当て、その面白さを天下に知らしめたい──それが本書の意図である。

 ちなみに『トンデモ本の世界』で取り上げた本の著者には、他にも矢追純一、関英雄、竹内久美子糸川英夫あすかあきおドクター中松大槻義彦などの有名人がいる。宇野正美氏のユダヤ陰謀本や川尻徹氏のノストラダムス本が、よく売れていて版を重ねていたのも事実だ。まして、古代帝國軍総統・万師露観氏など、誰がどう見ても「弱い者」ではあるまい。

 abさんがこうしたメジャーな人たちをみんな無視し、僕がいじめたという「弱い者」として、三上晃氏の名前しか挙げていないのは興味深い。五島勉氏や矢追純一氏らの名前を挙げたら、自らの論旨が崩壊してしまうことに気づいているのだろう。

 基本的な知識を解説しておく。本が出版された時に著者に入る印税は、定価×発行部数の10%が普通。つまり1000円の本が増刷を重ねて10万部出版されれば、著者には1000万円が支払われるわけである。(厳密には源泉徴収されるので、これよりも少し少ない)

 五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』の公称発行部数は250万部、初版の定価は680円だったから、五島氏はこの1冊で約1億7000万円の収入を得たはずである。その後も『大予言』シリーズの続編やタイトルに『ノストラダムス』と書いている本を14冊も出していて、発行部数の総計は600万部を超えている。

 abさんは僕を「それをネタに本を出して金稼ぎに利用してた分、下手ないじめっ子よりタチが悪いです」と非難する。しかし、トンデモ本の著者たちがデタラメな内容の本を書いて大金を稼いでいることについては、なぜか目をそむけている。

「でも三上晃氏が弱者なのは事実だろう!?」と反論されるかもしれない。確かにその通り。しかし、僕らが弱者だけを狙って批判していたわけではないのも、明白な事実だ。

 僕は『トンデモ本』シリーズで取り上げる際、相手が有名人だろうと無名の人だろうと、金持ちだろうと貧乏だろうと区別しなかった。無名の人だから手を抜くなんてことはしたくなかった。

 また、abさんは僕がこういうことを書いていることは知らなかったようだ。『トンデモ本の逆襲』の「長いあとがき」である。(『逆襲』は読まなかったのかな?)

 どうか誤解なさらないように、催は三上氏が嫌いなわけではありません。それどころか、文章からにじみ出るお人柄にとても好感を抱いています。まだお会いしたことはありませんが、きっといい人に違いないと確信しています。実際、三上氏に会った人は口を揃えて「いい人だ」と言っておられます。

 三上氏を取材したある方の話によれば、三上氏はと学会が送った「日本トンデモ本大賞」の賞状をとても大事にされており、嬉しそうに見せびらかしておられたとのこと。お送りした甲斐があったと、僕は心の底から喜んでいます。

 ただ、「いい人」=「正しい人」とは限らないところが、世の中の悲しいところであり、面白いところでもあります。

 いくら三上氏がいい人であっても、「太陽黒点は大森林地帯だ」とか「原発から来た電気は放射能を帯びている」とかいう説に対しては、僕は「そりゃ違うよね」と言わざるを得ないのです。なぜなら、ここで「そのとおりです」と言ってしまったら、嘘をつくことになってしまうからです。三上氏がどれほど真剣に研究しようと、後援会のみなさんがいかに三上氏を崇拝しようと、太陽が熱いという事実は動かせないのです。

 三上氏の誤りを指摘することが三上氏に対する侮辱になるというのなら、「現代の天文学はすべて間違っている」と主張することは、まじめに研究している世界中の天文学者に対する侮辱になるということもお忘れなく。

 また、僕がトンデモさんたちに対してどんな感情を抱いているかも示しておく。『トンデモ本の世界V』(2007)のあとがきである。

 普通の人とトンデモさんの間に明確な境界線があるわけではない。人は誰でも(僕やあなたも)、根拠のないトンデモ説にハマってしまう可能性がある。僕自身、本やネットで勉強するうちに、これまで自分が信じていたことが間違いだと知らされて驚いた経験が何回もある。おそらくあなたも、気がつかないうちに、トンデモ説のひとつやふたつは信じてしまっているはずだ。

 言うならば、僕らはみなトンデモさん予備軍なのである。

 トンデモ本研究というのは、単に間違っている人を笑い飛ばすものではないと、僕は思っている。トンデモさんたちを自分とは違う人間だと思ってはいけない。自分も彼らと同じ人間であり、いつ同じような間違いを犯すかもしれないと常に警戒しなくてはいけない。

 他の人の間違いを参考にして、他山の石とすべきなのだ。