と学会がやっていたことは「弱い者いじめ」だったのか?・3

 そもそも『トンデモ本の世界』が出版された1995年はどんな年だったか思い出してほしい。

 そう、地下鉄サリン事件のあった年だ。

 あの事件がどれほど日本を騒がせたか、ご記憶の方は多いはずだ。オウム真理教はオカルトや超能力、フリーメーソン陰謀説や、様々なニセ科学にハマっていた。それらは、マスメディアが無視していたか、あるいは逆に持ち上げていたものだった。(『超能力番組を10倍楽しむ本』でも書いたが、90年代前半まで、超能力を肯定的に扱う番組は実に多かったのだ)

 1995年のあの日まで、ほとんどの日本人はオカルトや超能力や陰謀論ニセ科学にさほど関心がなかったか、あっても「たいしたことじゃない」と侮っていたと思う。

 そこにあの事件が起きた。

 多くの人が存在に気がつかなかった、あるいは何もしないで見過ごしていたものが、気がついたら恐ろしい怪物に成長していた。

「あれはいったい何なんだ!?」と狼狽し、説明を求めていた人たちに、僕らがタイミングよく「トンデモ」という概念を提示した。だから『トンデモの世界』はベストセラーになったのだと思う。

 もちろん、オウム事件に便乗したわけじゃなく、出版予定は前から決まっていて、地下鉄サリン事件がたまたまそれに重なっただけなんだけど。

 これは『トンデモノストラダムスの世界』で書いたけど、僕は五島勉氏が『ノストラダムスの大予言』という本を書かなかったら、オウム事件は起こらなかったと思っている。

 無論、『ノストラダムスの大予言』を読んだ時点で、オウムの台頭を予想するのは誰にも無理だったろう。でも後知恵で見て、因果関係があるのは否定できない。

 言い換えれば、今はまだたいしたことがないように見えるトンデモ説でも、将来、怪物に成長する可能性があるということだ。

 今も日本には、多数のトンデモ説が乱れ飛んでいる。そのどれかが新たなオウム事件の萌芽になるのか、今の段階ではまったく予想できない。でも、常に誰かが目を光らせていなければいけないんじゃないだろうか?

 実際、僕も予想できなかったことがいくつもある。

 たとえば『トンデモ本の世界R』(2001)で、石橋輝勝『武器としての電波の悪用を糾弾する!』という本を紹介した。自分は世界を支配する組織から電波攻撃を受けていると主張する、典型的な関係妄想の本だった。だが、自費出版されたマイナーな本であり、大きな影響力などないと思っていた。

 まさか著者が2003年に民主党推薦で千葉県八街市議会議員選挙に立候補して当選したり、「テクノロジー犯罪被害ネットワーク」なんてものを結成したりするなんて、まったく予想していなかった。

 あるいは『トンデモ本1999』で取り上げた谷口裕司『宇宙からお母さんへのメッセージ』という本。著者は育児文化研究所という団体を主催しており、全国に10万人以上の会員がいるという。この本は、おなかの中の赤ちゃん、それどころかまだ妊娠さえしていない赤ちゃんがテレパシーで語りかけてくるという本だ。地球にはすでに大勢の宇宙人が来ていて、人類を指導しているとも書かれていた。

 僕は育児文化研究所という団体がUFOカルト化していることに漠然と不安は抱いた。

 だが、この時点で、すでに誤った指導のせいで犠牲者が出ていたなんて思いもしなかった。

http://www.jaog.or.jp/sep2012/JAPANESE/MEMBERS/TANPA/H12/000403.htm

トンデモ本の世界R』(2001)では、谷口祐司氏の別の著書『緊急!マリア様からのメッセージ』を取り上げ、「しかし、笑ってばかりもいられない。この育児文化研究所をめぐって、実は悲惨な事件が起きていたことが明らかになったのだ」(89ページ)と書いて、事件に触れている。

 読み返していただければ、この文章の前後で、僕の文体ががらっと変わっていることに気づかれると思う。『緊急!マリア様からのメッセージ』は笑えるトンデモ本だが、両親が谷口氏の誤った指導を信じために赤ん坊が死んだという事実は、笑ってはいけないと思った。

 しかし、谷口氏の著書を「笑ってはいけない」とも言いたくなかった。むしろ、谷口氏の著書を読んだ人たちが、これがトンデモ本であることに気づかず、笑いもせずに信じこんでしまったことが、悲劇を招いたのだと思う。

 こんなのは笑い飛ばすべきだった!

 もっと早くみんながトンデモさに気がついて笑い飛ばしていれば、悲劇は阻止できたんじゃないだろうか。

 あるいは『トンデモ本の世界W』(2009)で取り上げた『胎内記憶』。胎内の赤ちゃんが母親のへそから外を見ているなどと主張するとびきりのトンデモ本だが、著者の池川明氏が当時よりさらに有名になって、各地で講演会を開いているばかりか、親学推進協会の特別委員や誕生学協会のサポーターをやっているという事実に、育児文化研究所の事件を連想し、軽く戦慄している。

 池川氏一人が信じているだけでなく、いい年した大人、しかも高い地位にある人たちまでもが大勢、「赤ちゃんが母親のへそから外を見ている」などという話を本気にしているらしいのだ。これは十分すぎるほど恐ろしいことではないだろうか?

 正直に言うと、僕もいつも笑っているわけではない。話があまりにもシリアスすぎて、矛先が鈍ることは何度もあった。

 たとえば『トンデモ本の世界U』(2007)で、小出エリーナ『アメリカのマインドコントロール・テクノロジーの進化』を紹介した時のこと。CIAの電波攻撃「マイクロウェーブ・ハラスメント」を受けている(と思いこんでいる)人たちについて、僕はこう書いた。

 どうやら苦しい体験をしている著者たちを支えているのは、自分と同じ体験をしている人が大勢いるという連帯感と安心感、そして巨大な悪と戦っているという怒りと使命感のようである。

(中略)

 だが、僕にはそれこそ「個人の一時的な解消でしかない」ようにしか見えない。ミもフタもないことを言わせてもらえば、「早く病院に行きなさい」と言いたい。現代では統合失調症に効く薬がいくつもある。それらで治癒できるか、症状が改善される可能性は高い。

 だが、マイハラ被害者同士の連帯は、適切な治療から彼らを遠ざけているように思われる。仲間の話を聴くことは、自分の体験が幻覚や妄想ではないと確信させてくれるし、中には「体内にインプラントを埋めこまれるから病院に行ってはいけない」とアドバイスする者もいるからだ。

 だから僕は、最初は笑って読んでいたものの、だんだん笑えなくなってきた。心の病気だからしかたがないとはいえ、治療を受ければ助かるかもしれない人が、自ら救いを拒否して苦しみ続ける姿は、胸が痛む。

 これは僕の嘘偽りない本音である。

 罪もない赤ん坊が愚かな指導のせいで死ぬなんてことはあってはいけない。

 病気に苦しんでいる人には、ぜひ良くなってほしい。

 そのためには、明らかに間違っていることに対して、誰かが「間違っている」と声を上げないといけないと思う。

本人に直接言うなり手紙やメールを出すなり」なんて甘っちょろいことを言っている間に、誰かが死ぬかもしれないのだ。

 最初の『トンデモ本の世界』を出した頃から、僕は『トンデモノストラダムスの世界』という本を必ず1998年に出そうと心に決めていて、ずっと資料の収集を続けていた。

 今の若い人にはピンとこないかもしれないけど、1990年代の日本人の中には、ノストラダムスの予言を信じこみ、「1999年に人類は滅亡する」と思っていた人間がかなり多かったのだ。彼らが1999年になったら、不安になってパニックを起こし、犯罪に走ったり自殺したりするかも……という懸念は、決して杞憂ではなく、当時としてはリアルな危機感があった。

 だから僕は、そうした事態を予防するために、1998年に『トンデモノストラダムスの世界』を出そうと決意した。

 その際、ベストセラーである五島勉ノストラダムスの大予言』だけに絞りはしなかった。当時すでに氾濫していた大量のノストラダムス本(正確に言えば、ノストラダムスの詩から勝手に未来に起きることを予言する本)をかたっぱしから読んで笑い飛ばした。

 当然、中には五島氏ほど売れていない人、abさんの言う「弱い者」もいた。だが僕は、売れているかどうかで区別しなかった。

 起きるかもしれないパニックを防ぐために、ノストラダムス本はどれもデタラメで、著者たちの主張は信用できるものではないことをはっきり示す必要があったからだ。こんなのは笑い飛ばすべきものなのだと。

 幸い、『トンデモノストラダムスの世界』はよく売れた。1999年7月が近づくにつれ、大手のメディアも危機感を覚えたらしく、メジャーな雑誌や新聞でもノストラダムスの予言を否定する記事が増えた。テレビでもやはりノストラダムス批判の番組が増え、僕もいくつか出演した。マスメディアのウォッチングを続けながら、「ノストラダムスの予言なんて信じちゃいけない」というムードが世間に形成されてゆくのを、確かに感じていた。

 そうして1999年7月は何事もなく過ぎ去った。

 パラレルワールドのことなんか分からない。でも、もし僕が『トンデモノストラダムス本の世界』を書かなかったら──abさんが言うように、「本人に直接言うなり手紙やメールを出すなり」で済ませ、広く世間に警告しようとしなかったらどうなっていたか……それはいつも考える。

 少なくとも僕は、災厄を防ぐために、自分がやるべきことをやったと、今でも誇りを持って言える。