『この世界の片隅に』
>「ああ、そうだ。理屈じゃ分かるんだよ。人の死を悼むべきだっていうのは。でも、無理だ。人は数字には感情移入できないものなんだ。“二七四〇”なんて数字にはな──たとえそれが人の命の数であっても。
> 大和に限ったことじゃない。東京大空襲で一〇万人が死んだとか、広島と長崎に落とされた原爆で二〇万人以上が死んだとか、ホロコーストで六〇〇万人以上のユダヤ人が死んだとか、僕らは知識としては知ってる。確かにものすごい数字だ。惨劇だ。でも、いくら大きくても、数字じゃ人の心は動かされない。人が衝撃を受けたり恐怖したり涙を流したりするのは、大量虐殺やそのデータに対してじゃない。『アンネの日記』や『はだしのゲン』や『火垂るの墓』のような、個人のミニマムな視点の物語だ」
(中略)
>「お前はノンフィクションを何よりも重視すべきだと思ってる。もちろん事実を多くの人に正しく伝えることは大切だ。でも、それだけじゃだめなんだ。事実の羅列だけじゃ、人の心は動かせない。そうだろ? 戦争の悲惨さを理解するには、史実が語っている衝撃の大きさを、胸に感情として刻みこむことが大切なんじゃないか? 犠牲者数とかのデータとしてじゃなく、感情として。
それにはドラマが必要なんだ。心を揺さぶるドラマがな」
──『BISビブリオバトル部 幽霊なんて怖くない』より
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「反戦作品は『戦争反対!』と大声で叫ぶべきじゃない」というのが僕の持論である。
なぜなら、戦争体験をリアルに描くだけで、十分に「反戦」になるはずだからだ。それ以上のメッセージは蛇足だ。
戦争というと、僕らは空中戦、海戦、戦車戦などの派手な場面を思い浮かべてしまう。しかし、実際の戦争では、戦場で兵士が戦っている時間はごくわずかだ。ほとんどの時間、戦う以外のことをやっていた。塹壕を掘ったり、飯を食ったり、野戦病院で治療を受けたり、次の命令が来るのを待つ間、戦友と無駄話をしたり……。
また、太平洋戦争の場合、戦没者の半数以上は、戦闘ではなく、飢餓や病気で死んでいたと言われている。
そしてもちろん、戦場の兵士よりも、後方にいた非戦闘員の方がはるかに多い。彼らもまた「戦争体験者」なのだ。
僕はリアルじゃない戦争映画──娯楽のための戦争映画はあっていいと思っている。『青島要塞爆撃命令』とか大好きだし。 もちろん『ガルパン』とかも。
でも、そうした派手な娯楽映画のイメージで戦争を理解するのは間違いだ。武器を手に敵と戦うことは、「戦争」という巨大な現象のごくごく一部にすぎないのだから。
「戦争体験者」のほとんどが、実際に武器を手に戦った人ではなく、ごく普通の一般人なのだから。
僕のもうひとつの持論は、
「どんなに栄養のある料理でも、不味ければ誰も食べない」
というものだ。
娯楽性とテーマ性(この場合は「戦争」)は、相反するものではない。それどころか、多くの人に知ってほしいシリアスなテーマが秘められている作品こそ、面白いものでなくてはならないと思う。
作り手がどんな重いメッセージをこめていても、その作品自体が面白くなかったら意味がない。つまらなくて誰も観ないのでは、メッセージは伝わらない──当たり前のことだけど。
『この世界の片隅に』が素晴らしいのは、「面白い」ということだ。
昭和19年、軍港の町・呉に嫁いできた18歳の女性・すずさん。絵を描くのが趣味。いつもぼーっとしていて、ドジで、危なっかしい。でも陽気で働き者。戦争の影響でしだいに生活が苦しくなっていく中で、けなげに生き続ける。
もちろん悲惨なシーン、泣かせるシーンはあるんだけど、感動の押し売りをしてこない。笑いもあるし、ほんわかと暖かくなるシーンもある。
この物語には、歴史上の著名な人物なんて、1人も出てこない。すずさんはただの主婦にすぎず、歴史の流れに流されてゆくだけ。英雄でも悪人でもない、どこにでもいる善良な女性の人生が、ユーモアを交えて、淡々と描かれてゆく。
特にいいのは、軍艦の絵を描いていたら、間諜(スパイ)と間違えられて憲兵に吊し上げられるというくだり。他の作品ならシリアスな場面になるはずなのに、それをギャグにしてしまうのには恐れ入った。
戦時中にも、ごく普通の日常は続いていた。そこには苦労もあったけれど、愛があり、笑いがあり、ささやかな幸せがあった。
その日常が、少しずつ、少しずつ歪んでゆく。
特に後半、運命の日──昭和20年8月6日に向けて時間が進んでゆくあたりは、もう観ながら苦しくて苦しくてしかたがなかった。
この作品の特徴は、あくまでこの時代を生きたすずさんの視点から描かれていること。この手の作品にありがちな反戦キャラクター──後世の人間の視点から、当時の日本を批判する奴がいないこと。
だってそんなメッセージ、必要ないから。
何の罪もない人間のささやかな幸せが壊されることの残酷さ。それを描くだけで、十分すぎるほど強烈なメッセージだから。
監督の片渕須直氏は、あの残酷描写満載のバイオレンス・アニメ『BLACK LAGOON』を作った人。でも、この作品では、残酷描写を封印している。
主要登場人物の何人かは死ぬのだが(誰が死ぬかはネタバレになるので書かない)、どれも間接的に、あるいは伝聞で描かれているだけ。死の瞬間を見せない。
そういう意味では、子連れでも安心して見に行ける映画である。
言ってみれば、誰でも入りやすいように、間口が広く作られている。
だが、直接描写されていなくても、十分すぎるほど残酷だ。
たとえば原爆投下のシーン。その破壊力をストレートに描かない。呉の人たちが最初、遠くの閃光にだけ気がついて、「雷?」とかのんきなことを言っている、その怖さ。その瞬間、すでに広島では何千という人が死んでいるというのに。
あと、映画の終わり近く、生き残ってすずさんと再会したある人物が、自分の腕を見せるシーン。作中では何の説明もないし、すずさんも意味を理解していないのだけど、観客としては何が起きたか分かってしまうわけで、衝撃で思わず胸が詰まった。
大阪のテアトル梅田で鑑賞。朝一番で行ったんだけど、開館前からすでに劇場の前には行列が。僕が入った時点では空席が10席ぐらいしかなく、それもすぐに埋まって、立ち見が出ていた。観客は年配の人が多い印象だった。
EDクレジットの最後にずらりと並ぶ3374人の名前。パイロットフィルム製作のための費用を集めるクラウドファンディングに協力した人たちだ。僕もその一人。片渕須直氏が新しい映画を作ると知り、きっと傑作に違いないと確信して協力させていただいた。それは十分すぎるほど報われた。
スクリーンで自分の名前を探したけど、多すぎて見つけられなかった(笑)。後でパンフレット見たらちゃんと載ってました。
上映終了後、自然に客席から拍手が起きた。僕も拍手していた。後でツイッターで見ると、他にも拍手の起きた劇場はいくつもあったらしい。
これは拍手に値する作品だから。
なるべく予備知識なしに、白紙で観たかったので、原作を読むのは封印してたんだけど、映画館から出て即座に隣のジュンク堂書店に行き、原作全3巻を買った。
映画のストーリーがきわめて原作に忠実であることが分かった。ただ、リンさんがらみのエピソードがごっそり省略されていたのが残念。まあ、上映時間の関係でしかたがないんだけど(今でさえ129分あるから、これ以上長くできない)。
そのへんは原作を読んで補完すべきだろう。メモ帳の一部が四角く切り取られてたのはそういう意味だったのか。なるほど。
追記:
町山智浩氏による解説。ネタバレを避けつつ、注目すべきポイントを的確に指摘している。
http://miyearnzzlabo.com/archives/40487
この解説読むまで、「悲しくてやりきれない」という歌にこういう背景があったことをすっかり忘れてた。いろいろ意味深だなあ。