『最終兵器の夢』

 H・ブルース・フランクリン『最終兵器の夢』(岩波書店

 副題は〈「平和のための戦争」とアメリカSFの想像力〉。アメリカの核兵器開発や戦争の歴史と、戦争SFの歴史を並行して語り、それらが互いにどのような影響を及ぼしあってきたかを論じた本。

 クラシックSFファンとしては、古い未訳作品のストーリーがたくさん紹介されているのが嬉しい。戦前の作品で既訳なのは、ウェルズ『宇宙戦争』『解放された世界』、マート・トウェーン『アーサー王宮廷のヤンキー』(タイムスリップ+架空戦記の元祖)、ジャック・ロンドン「比類なき侵略」ぐらい。意外なのは、フルトンの潜水艦の話が出てくるのにヴェルヌの『海底二万里』が出てこないこと。まあ、あれ戦争ものじゃないしね。

 ギャレット・P・サーヴィスの『エディソンの火星征服』(勝手に書かれた『宇宙戦争』の続編。主人公はトーマス・エディソン)は、前に野田昌宏さんの本でも紹介されてたっけ。

 本物のトーマス・エディソンの言動もいろいろ紹介されているのだが、ドクター中松ばりの大ボラを吹きまくってるのがおかしい。

 本書によれば、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、強大な敵(黒人、中国人、日本人、ドイツ人)が圧倒的な力でアメリカを侵略し、それを天才科学者の発明した新兵器(細菌、飛行船、ミサイル、放射能など)で撃退するという架空未来戦記がたくさん書かれていたという。前述の『エディソンの火星征服』も、その流れの中の一本なのだ。

 マンハッタン計画以前、それどころかウラニウムの連鎖反応が発見される以前から、核兵器を登場させていた作品もいくつもあった。

 その中には、強大な破壊力を持つ新兵器が登場すれば戦争は根絶される、と論じたものも多かった。反面、カール・W・スポー『最終戦争』(1932)のように、大国同士の兵器開発競争がエスカレートした末に文明が崩壊するというストーリーもあったのだが。

 著者はこうしたSF作品の予言の正確さよりも、むしろその後の現実の歴史がSFとどう違っていたかに注意を向ける。アメリカの領土は、太平洋戦争の初期を除けば、他国に軍事侵略されることはなかった。核兵器の発明は戦争を根絶しはしなかった。

 ハインラインの「不満足な解決」(1941)では、アメリカはドイツに対して放射能を使った大量殺戮兵器を使用する前、三度もベルリン市民にその威力を警告し、降伏と都市からの退避を呼びかける。だが、現実の広島ではそんなことは行なわれなかった。

 広島以後、今度は核戦争の脅威を描いたSFがどっと登場する。前半と対照的に、ここでは紹介される作品の多くが既訳である。スタージョン「雷と薔薇」「記念物」、ハミルトン「審判の日」、ムーア「ロト」「ロトの娘」、ワイリー「偶発」、ブラッドベリ「百万年ピクニック」「優しく雨ぞ降りしきる」、ライバー「セールスマンの厄日」、メリル「ママだけが知っている」、クロート「爆圧」などなど……読んだことのある話ばかりが続々と出てきて、前半とは逆の意味で面白かった。

 ウィル・ジェンキンズ(マレイ・ライスター)の『アメリカ殺害事件』は、まあ訳されないのも無理はないな、と思う。あらすじを読む限りでは、いかにもダメそうな話だ。

 惜しむらくは本書が全訳ではないこと。特に80年代のスターウォーズ計画を扱った第4部が省略されているのが、何とももったいない。絶対、面白い話がいっぱいあるはずなのに。