コミケの困ったちゃんの話(後編)

 しかし、XXは3年前のことをまるで気にしている気配がない。僕を怒らせたことが記憶から抜け落ちているのか、まるで友人ででもあるかのように親しげに話しかけてくる。

 これがまた、実にしょーもない話題ばかり!

「『○○』というアニメ、ご覧になってました?」

「いえ、観てません。第一話だけ観て切りましたから」

 そんな話をする気はないから、わざと無愛想に突き放したのだが(第一話だけ観て切ったというのは事実)、XXは僕の返答をあっさり無視した。

「ネットであの作品について議論が起きてるんですけど、それについて山本先生の意見をうかがおうと……」

 と、そのアニメについての話題を強引に語りはじめる。

「ちょ、ちょっと待って」と僕は慌てて制止する。「僕はそのアニメを観てないって言ったでしょ?」

「いえ、でも……」

「観てないから分かりません。何も語れません」

 XXはちょっと残念な顔をしたが、すぐに別の話題――好きな映画の話題を振ってきた。

「『△△』の続編が製作中なんだそうですよ!」

「はあ、そうですか……」

「主演が『□□』の%%なんですよ! 今から期待しちゃいますよね!」

 このへん、どんな固有名詞が発せられたか、記憶から飛んでいる(笑)。

「『**』はご覧になりました?」

「はあ、まあ……」

IMAXの3Dですか?」

「はあ……」

 本当はIMAXじゃなかったんだけど、いちいちそんなこと説明したくもない。

「あの冒頭のシーンが素晴らしかったですよね!」

 ああ、確かに素晴らしかったけど、お前とは語りたくないんだよ。それぐらい察しろよ。

 彼はそれからも次々に作品名を挙げて、あれが良かったとか、あの監督がどうとかいう話をえんえん続ける。終わる気配がない。

 つーか何でこいつ、僕が怒ってないと思ってるんだ?

 マジで、3年前のことを忘れてんじゃないのか?

「あのー、そんな話、僕はしたくないから」

 追い払いたくてそう言うと、

「そうですか。じゃあ今、どんなアニメをご覧になってるんですか?」

「何でそんなことをあなたに教えなくちゃいけないんですか?」

「あっ、この前、ブログで紹介されていた『++』はどうですか? 面白いですか?」

「あのねえ、そんなことを訊ねてどうするの? 僕から何を聞きたいの?」

「山本先生の感想を聞きたいんです!」

 嘘だ。

 お前、さっきから、僕の話、ぜんぜん聞いてないじゃん。僕の言葉が全部、頭の中をすり抜けてるじゃん。

 僕の話を聞く気なんてないだろ?

 僕と話したいんじゃなく、自分の好きな映画やアニメの話を一方的に語りたいだけなんだろ?

 悪いけど、そんなのにつき合う気、ないから。

 さて、コミケに行ったことのない方のために説明しておく。

 コミケのブースというのは、1つのテーブルを2つのサークルが使用する。1サークルあたりの幅は90cm。これは2人の人間が横に並ぶことしかできない幅である。

 この状態で、ずっとブースの前に立っておしゃべりをされたらどうなるか。

 ブースの半分をずっと占拠することになる。後から来るお客さんが、1人ずつしかサークルの前に立てないから、大変に迷惑である。

 それだけじゃない。参加者の中には、歩きながらふと目についた本に興味を抱いて、手に取る人もいる。でも、XXはずっと僕の新刊の前に居座って、通りかかる参加者たちの視線から、新刊を遮っている。つまり営業妨害。

 実際、XXがくだらないおしゃべりを続けている間にも、次々にお客さんがやってきてるんである。新刊を手に取るために、突っ立っているXXの脇から手を伸ばす人もいる。

 僕がたまりかねて、「お客さんのじゃまだからどいて!」と言うと、XXはちょっとだけ後ろに下がるが、お客さんがいなくなるとまた戻ってきて話をはじめる。

「そうじゃなくて、どっか移動して! そこに立たないで!」

 僕がそう言うと、XXはどうしたか?

 なんと、隣のブースの前に移動して、そこに立って話を続けるのだ!

 こいつ、隣のサークルさんにまで迷惑かけてやがる!

 これにはさすがにブチ切れた。

「どっか行け! 立ち去れ! お前とは二度と話したくないから!」

 そう言うと、XXはようやく去っていった。

 どっと疲れた。

 実は10何年か前にも、やっぱりブースの前で居座ってくだらない話をえんえん続ける奴がいた。それも本も買わずに。

「他のところも回って来られたら」と遠回しに追い払おうとするんだけど、ぜんぜん動かない。

 いいかげん不愉快になってきて、「本も買わないのに立ってられると迷惑なんですけど」と言ったら、「買いますよ、買えばいいんでしょう」と、へらへら笑う。

 さすがに切れて、「お前なんかに買ってほしくない! どっか行け!」と怒鳴りつけて追い払った。

 その時にもNくんがいて、「山本さんが怒ったところ、初めて見ました」と驚いていた。そりゃ僕だって、腹が立って誰かを面と向かって怒鳴りつけることなんて、10年に1度あるかないかだよ。

 ちょくちょく、よそのサークルでも、ブースの前に立って長話をしている人を見かけるけど、あれは本当にサークルの誰かの知り合いなのか、それとも無駄話で迷惑をかけてる困ったちゃんなのか。

 僕はコミケで同人誌を買う時、可能な限りブースの前に立つ時間を短くしている。

 内容を知っている本なら、「これ1冊ください」と言ってお金を出し、本とお釣りを受け取って、ただちに立ち去る。

 内容をよく知らない場合、ぺらぺらとめくって中を確認する。売り子の人と本の内容について話すこともある。「今回の新刊はどちらですか?」とか「妻から頼まれたんですけど」とか「これ、調べるの大変だったでしょう」とか「『RWBY』の本って、今日、ここだけなんですよねー」とか「がんばってください」とか言うこともある。

 必要最低限のことだけ喋って、本を買って立ち去る。長くても1〜2分程度だ。

 親しい人が僕のブースに来る場合も同じ。あいさつをして、同人誌を買って、ちょっとした近況報告なんかもして、すぐ去ってゆく人が大半である。長い用件がある場合、その場では話さず、「後でメールでお送りしますから」と言われることもある。

 親しい人でさえそうなんである。まして親しくない人間が、しかも何ら重要性も緊急性もない用件で、なぜ長々と居座るのか。

 ブースの前に長時間居座るのは迷惑――それはコミケ参加者なら、誰かに教わるまでもなく、ごく普通に身につけるマナーだろう。

 その基本的なマナーがXXには分からない。

 なぜなら、彼は他人の心理が理解できないからだ。自分の行動が他人を不快にしているという意識がまったくない。僕の言葉も頭の中を素通りする。

 だから、いくら言っても態度を改めないし、僕に嫌われているということすら認識できないのだろう。

 だからXXでなくても、こういう迷惑な奴が来たら、きつい言葉で追い払っていいと思う。「それはマナー違反なんだ」ということを叩きこんでやらなくちゃ、今回の件のように、他のサークルさんにも迷惑をかけるかもしれないしね。