そんなのはビブリオバトルじゃありません

 先日、「ビブリオバトル春のワークショップ」というイベントに行って、Bibliobattle of the Year2016優秀賞というものをいただいてきたのであります。

http://www.bibliobattle.jp/workshop2016

http://www.bibliobattle.jp/bibliobattle-of-the-year/2016/award

 場所は三重県伊勢市皇學館大学 というところ。深い森の中にあって、「神社!?」と言いたくなるような佇まい。こんな大学があるんだなあ。

 さて、会場では日本各地で行われている様々なビブリオバトルの活動もいろいろと聞いた。かなり普及してきているようで、喜ばしい。

 でも、喜んでばかりもいられない。ビブリオバトル人口が増えるにつれ、問題点も出てきているようだ。

 会場では、『読書とコミュニケーション ビブリオバトル実践集』という本も買ってきた。

 ビブリオバトルの公式ルールというのは本当にきわめて単純なもので、難しいことなんか何もない。誰でもすぐできる。

 ……そのはずなんだけど、やっぱりこういう教師に指導するためのテキストが必要らしい。

 この本の第一章にはこうある。

> その一方で、ビブリオバトルを導入した学校の児童・生徒たちから、ビブリオバトル普及委員会に不満の声が寄せられることもあります。理由は明白で、不満の声が上がる事例は「教員が課題図書を決める」「発表のための下書き原稿を書かせる」「さらに添削する」「その原稿に従った発表の練習をさせる」「先生が優秀者を決める」「あるいはチャンプ本を決めない」などなど、ビブリオバトルと称して、「ビブリオバトルらしきもの」が行なわれているケースがほとんどなのです。

 そう、こういう問題点はよく耳にする。そして、それはビブリオバトル普及委員会の責任ではまったくない。だって、これってみんなルール違反だもの。

 たとえば「教員が課題図書を決める」。これがまずだめ。

 公式ルールの一行目にちゃんと書いてある。「発表参加者が読んで面白いと思った本を持って集まる」と。 「他人が推薦したものでもかまわないが,必ず発表者自身が選ぶこと」という項もある。

 つまり発表者自身が面白いと思って選んだ本でないといけないのだ。教師が「この本を紹介しなさい」と決めるなんてもってのほか。

 だってビブリオバトルというのは、面白い本を紹介し合うものなんだから。自分が面白いと思わなかった本を他人に勧めるなんて、根本的に間違ってる。

 つーか、面白いと思わなかった本を「面白い」と言って他人に読ませようとするのは、はっきり言って「嘘つき」だから。そんなのを教育者が教えちゃだめでしょ。

「発表のための下書き原稿を書かせる」というのも絶対ダメ。

 ツイッタービブリオバトル関連の発言を読んでいたら、教師から無理にビブリオバトルをやらされてるらしく、「明日までに1600字書かなくちゃいけない」みたいなことを嘆いている人がいて、ほんとに気の毒になる。

 それ、単なる読書感想文ですから!

 子供は読書感想文って嫌いでしょ? 僕も嫌いだったよ。あんなもんで子供は本好きになんかならないよ。

 それをなぜ生徒にやらせようとするの? ビブリオバトルは読書感想文とは違うんだよ!

 どうも生徒がちゃんと喋れるかどうか心配して、あらかじめ原稿を書かせるらしい。でも、それ、根本的に間違ってるよ。常識で考えて分かるでしょ? 本の感想でも何でもそうだけど、思ったことをただ喋るのと、それをわざわざ文字にするのと、どっちが大変か。わざわざハードル上げてどうすんだ。

 さらに言うと、「原則レジュメやプレゼン資料の配布等はせず,できるだけライブ感をもって発表する」というルールもある。そう、大切なのはライブ感。用意してきた原稿を読み上げるんじゃだめなんだよ。

 このルールなんかまさに、ビブリオバトルの「読書感想文」化を防止するためのもののはずなんだけど。

 まあ、どうしてもアドリブで話せないという人が、あらかじめ原稿作って練習するのはかまわないけど、それはあくまで自分の意思でやるべきこと。教師がそれを強制しちゃだめだよねえ。

 他にも公式ルールには、「チャンプ本は参加者全員の投票で民主的に決定され,教員や司会者,審査員といった少数権力者により決定されてはならない」という項もある。

 つまり「先生が優秀者を決める」なんてのは完璧にルール違反!

 なんで教育者たるものが、そんなひどいルール違反を堂々とやるわけ? おかしいでしょ? 大人ならルール守れよ。

 他にもよく耳にする話では、「バトル」という言葉に難色を示す人がいるらしい。子供に「バトル」をやらせるなんてけしからん。子供にはただ本の発表だけやらせればいい。チャンプ本なんか決めなくていいじゃないか……というのだ。

 だから、それもうビブリオバトルでも何でもありませんから!

 なぜこんなルール違反の「ビブリオバトルらしきもの」が横行するかというと、根本的にビブリオバトルの意義を取り違えてるんだと思う。

 どうも「プレゼンの腕を磨くためのもの」と誤解してる人が多いらしい。

 だから、学生に表面だけきちんとしたプレゼンをさせることにこだわって、下書き原稿を書かせたり、本人が好きでもない本を紹介させたりするんだろう。まったく本末転倒だ。

 喋り方が少しぐらい下手でも、本が面白ければ勝つこともあるのがビブリオバトル

 逆に、プレゼンだけは上手くても、「明らかにこいつ、この本が好きじゃないな」と分かるようなのはダメなんだよ。

>「ならバトルである必要ないでしょ?」

>「本を紹介するのに、それが適した手法だからだ──これが単に、本の内容を発表して、それを聞くだけの会だったらどうだ? みんな、あんなに集まるか?」

> 想像してみました。確かにそんな退屈そうな会、参加したいと思う人は少ないでしょう。

>「“バトル”と名がつくから、普段は本に興味のない者も、期待して集まってくる。最後に投票しなくちゃいけないから、聴講参加者は身を入れて発表を聞く。発表参加者は自分の推薦する本をいかにアピールすればいいかと工夫する。だからどっちも真剣になる。最終的にチャンプ本が決まるが、それは結果にすぎない。本に関する情報を交換する。面白い本を互いに薦め合い、発見し合う――それがビブリオバトルの目的だ。

『翼を持つ少女』の中で僕はこう書いたんだけど、もしかしたら『翼を持つ少女』を読んでない教師が多いのかもね。

 というわけで、全国の教職員のみなさん、ビブリオバトルをはじめる前に、まず『BISビブリオバトル部』を読みましょう(笑)。Bibliobattle of the Year2016優秀賞ですよ!