インディペンデンス問題・まだ続く

 インディペンデンス問題について語るなら、早川書房と『豹頭の仮面』問題は避けて通れない。

 『グイン・サーガ』の一巻『豹頭の仮面』が『SFマガジン』に連載された際、内容が差別的だとして問題になった。僕はリアルタイムに読んでいて、「これはまずいだろ」と思ったものである。こんな原稿を通すなんて何考えてるんだ、と。

 予想通り『豹頭の仮面』は反差別団体から激しい抗議を受けて(当時は社会問題になり、新聞でも報じられた)、早川書房は謝罪した。

 この問題、大きな話題になった。早川書房はこの事件のトラウマを長いこと抱えてしまったんだろうと思う。。

 

『輝きの七日間』問題をめぐっては、早川書房から三人の編集者がわざわざ東京から来られた。この三人がかりで僕を説き伏せられると思ったらしい。僕もデビューしかけの新人だったら、おとなしく従っただろう。でも僕も二十年以上も文壇で生きてきた人間だ。筋の通らない批判には立ち向かってやる。

「これは差別で言ってるのではないです」と三人は繰返し強調した。むしろ差別だと誤解されるのが困るから、差別語を使わないようにしてるのだと。と殺業者を出せばそれだけで差別だと誤解されかねない……。

 僕は「彼ら」の怖さを何度も説明された。たとえば翻訳小説の中で「屠殺場のような惨劇」という表現を使ったら、「彼ら」が集団で押しかけてきたという……。どこまでが事実なのかは分からない。しかし、三十年以上前ならそういった過激な闘争は確かにあったんだろう。

 でもね、それは昔の話だ。たとえばカート・ヴォネガット・ジュニア『屠殺場五号』が『スローターハウス5』(早川書房)と改名されたのは、何十年も前の話だ。つまり その編集者が僕に言ったのは、体験談ではなく、数十年昔の話である可能性がある。 しかし、今ではもうそういうやり方は、時代遅れになりつつある。

 

 だが、それが真実だと思い込んでいる者が多い。ほんの少しでも差別的なことを言ったり書いたりするだけで、反差別団体から「たたり」があると信じる者たちが。

 僕は今「たたり」言葉を使った。そう、これはオカルトなのだ。たとえば『四谷怪談』の話をすれば「お岩さん」のたたりがあり、呪われると信じるような。実際には『四谷怪談』は創作されたフィクションなのに。

 僕は科学合理主義者である。誰かが幽霊を信じてそれを怖がるのは許せない。ましてや早川書房は『SFマガジン』を出している会社だ。それが少しでも差別的なことを書いたら「たたり」があると信じている。僕はそれが許せなかった。本当に差別的なことを書いたら、抗議を受けるのはしかたがない。でも、『インディペンデンス』という差別的な言葉を含まない言論まで弾圧するのはやりすぎだ。

 ここで一歩でも後ずさったりすれば、僕らは作家は『インディペンデンス』という言葉を使うのにさえ、びくびくしなければならない。そんな世界を君たちは望むのか?

(つづく)