追悼・首藤剛志氏
初めて「首藤剛志」という名前を意識したのは、『宇宙戦士バルディオス』の「地球氷河期作戦」というエピソードだった。
「webアニメスタイル」の連載で、この回のシナリオがアップされているので、未見の方は参考にしていただきたい。
http://www.style.fm/as/05_column/shudo30_2.shtml
科学的には問題おおありのエピソードなんだけど(そもそも地球より小さいガニメデの影で地球全土が覆われることはありえない)、地球を攻撃するために木星の衛星を持ってくる発想に、まず度肝を抜かれた。さらに、下手するとウヨク臭くなる「巨大な敵を倒すために特攻」という話(『さらば宇宙戦艦ヤマト』はこの2年前)が、脚本しだいでここまで化けるということに、僕は驚いた。「こんな話を書ける人がいるのか」と。
初見の時、「今夜はあなたと一緒にいたい」と言ったデビットが、なぜドアの鍵が開いていることだけを確認して去っていくのか、一瞬、分からなかった。だが、彼の立場になって考えてみれば、それが正しい選択なのだと納得できた(詳しくは書かない。あなたも考えてみてほしい)。彼にとっては、愛する女性が鍵を開けてくれているという事実だけで十分だったのだ。
いい話である。
その後、首藤氏が新番組『戦国魔神ゴーショーグン』のメインライターを務めると知り、僕の期待は高まった。
その期待は裏切られなかった。『ゴーショーグン』はそれまでのロボットアニメの概念をぶち破る、ものすごくしゃれていて面白い番組だった。特に「さらば青春の日々」と最終話「果てしなき旅立ち」には感動した。
http://www.style.fm/as/05_column/shudo41_02.shtml
http://www.style.fm/as/05_column/shudo43_02.shtml
余談だが、この最終話、僕の住んでいた京都では放映が三ヶ月ぐらい遅れて、悶々となったもんである。待っただけの甲斐はあったけど。
その後番組『魔法のプリンセス ミンキーモモ』については、多くの人が語っているので、もはや僕が何も言わなくてもよかろう。
他にも、『ビデオ戦士レザリオン』の「休日戦争」というエピソードは抱腹絶倒の面白さだったし、『さすがの猿飛』の最終話の「愛する人のために死ぬんじゃなく、愛する人のために生きるべきだよ!」という台詞には(「地球氷河期作戦」を思い出して)ひっくり返ったもんである。
80年代のアニメオタクにとって、首藤剛志という脚本家はとてつもなく偉大な人だった。僕らより下の世代にとっては、『機動戦艦ナデシコ』のホシノ・ルリ三部作の人なのだろうけど。
そして『アイドル天使ようこそようこ』である。今から20年前、僕はこの番組にハマった。当時、ビデオを全巻買って、同人誌を2冊出した。
アニメのモデルになった場所を探索するため、仕事で上京するたびに渋谷を何時間も歩き回った。今で言う「聖地巡礼」というやつである。もっとも、今のようにインターネットなどない時代だから、画面を撮影した写真を手に現地を歩き回って、根性で探すしかなかった。〈ムルギー〉でカレーを食べたし、名曲喫茶〈ライオン〉を発見できたのは嬉しかった。おかげで他のどの同人誌よりも詳しいマップが作れたと自負している。
直後にスタートした『妖魔夜行』シリーズで、舞台を渋谷にしたのも、『ようこ』の影響である。ちなみに妖怪たちの拠点になっている道玄坂のバー〈うさぎの穴〉は、『ようこ』に出てきたバー〈アリス〉がヒント。他にも、「井神かなた」はひっくり返すと「たなか」になり、さらにタヌキだから「た」を抜いてアナグラムすると「かないみか」になるとか、「山杜サキ」→「守崎摩耶」、「山下秀樹」→「八環秀志」、「吉秋久美子」→「九鬼美亜子」……などという名前の由来も、今ならバラしても支障ないだろう。また、『サーラの冒険』の番外編「時の果てまでこの歌を」でモチーフに使った「Singing Queen」という歌は、『ようこ』の挿入歌である。
特に印象的だった首藤脚本は、第8話「すてきなハンズロフト」。冒頭のようことサキの会話は、あまりの素晴らしさに、何十回聞き直したか分からない。「首藤節」とでも言うべきリズミカルな台詞の妙!
その首藤節は、のちの『ポケットモンスター』の初期エピソードでも味わえる。特に第1話のサトシやオーキド博士の台詞は、『ミンキーモモ』や『ようこそようこ』にハマった人間なら、そのリズムや言葉遊びに既視感を覚えるはず。
首藤剛志という人がいなければ、『妖魔夜行』はまったく違う形になっていたことは間違いない。その意味でも、僕にとっては忘れがたい人である。
その才能とアニメ界に残した業績の大きさに、あらためて敬意を表したい。