続・ヘドが出るような思想であっても

 すでに旧聞に属するかもしれないが、『はだしのゲン閉架騒動について触れておきたい。

 なんかこれを『風立ちぬ』に対する禁煙学会の抗議と同種のもの――単なる「良識」派による表現規制だと思っている人が多いようなんだけど、荻上チキ氏によれば、ぜんぜんも違うようだ。

荻上チキ氏のはだしのゲン閉架騒動について

http://togetter.com/li/549915

 つまり、最初に、一部の「市民」からの「反日マンガだから撤去しろ」という要求が強くあって、さすがにそんな政治的理由じゃ撤去できなかったのだが、その後、過激な描写を問題にすることで、結果的に「市民」の要求に応えた……ということなのである。

 では、その「市民」とは何者か。『週刊文春』9月5日号の記事「はだしのゲン騒動 松江市教育委員会を縮み上がらせた右翼男と危険な組織」は、最初に松江市教育委員会に要望を出した中島康治氏(現在は高知市在住)にスポットを当てている。

 中島氏が昨年5月1日に松江市教育委員会に抗議に訪れた際、在特会の京都支部長を務めたこともある西村斉氏や、在特会島根支部長も同席していた。中島氏は「私は在特会会員ではありませんが、共闘できる部分は共闘するというスタンス」と述べている。

 西村斉氏はこの年の3月に起こした「ロート製薬強要事件」で、汚い言葉でロート製薬を脅した人物で、松江市教育委員会への抗議の9日後に逮捕されている。

ロート製薬強要事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%88%E8%A3%BD%E8%96%AC%E5%BC%B7%E8%A6%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6

>4人の中で最も積極的に発言した西村斉は、「金持ち喧嘩せずのふりすんな。このヘタレが、コラ」「お前国家転覆させようと思うとんのか。何外患誘致させようとしとんのか、この会社は・・・、アホンダラ。なんぼでも呼べ、警察でも」「右翼紹介するから右翼の事務所行って言え。竹島はどこの領土か分かりませんって言えや、そやったら。きっついとこ紹介したるわ。アホちゃうけ、調子乗ったらあかんぞ、コラ」などと、しきりに威圧的な言動に及んだ。またフジテレビ抗議デモ・花王抗議デモの例を挙げてロート製薬への抗議デモ実施をほのめかした。

>これに対して担当社員が「お言葉使い、ご配慮頂けますか」と自制を求めたところ、西村斉は「なんで俺こういうしゃべり方やねん。親譲りやねん。ということは俺の親否定してるのか。な、俺の家同和やから俺のとこ馬鹿にしてるのか。(中略)同和教育いるんちゃうか。ここも同和教育の担当おるやろ。そんな発言したらあかんで、あんた。差別だよそれ、差別。謝りなさい、今。俺の門地に対しての差別、謝りなさい」などと述べ、さらに威圧する姿勢を見せた。なお後述する刑事裁判で、西村斉自身は同和地区出身者ではなかったことが明らかにされている。

 この松江市教育委員会への抗議でも、「執拗に、大声で、恫喝を交えながら話す。担当者としては恐怖心で身の危険も感じた」と記録に残されているという。おそらくロート製薬の場合と同じような言葉遣いだったのだろう。

 つまり『はだしのゲン』事件は、在特会の脅迫に松江市教育委員会がビビッたことが、そもそものきっかけだったのである。

 一方、同じ日に発売された『週刊新潮』は、「大新聞が大騒ぎする「学校図書館」閲覧制限問題! 反戦だから子供でも残虐シーンOKという『はだしのゲン』応援団」と題し、現代史家の秦郁彦氏や京都大学の中島輝政名誉教授らが、『ゲン』の中に歴史的に誤った記述があると指摘している。

 高崎経済大学八木秀次教授(あの「天皇家Y染色体説」唱えた人だ!)も、「発達段階の子供にトラウマとなるような残虐シーンや偏った主張を教えるべきではない」と朝日や毎日の論調を批判する。

 記事はこう締めくくられている。

> この国を危うくするのは他でもない、『はだしのゲン』応援団のごとく、安っぽい正義感に凝り固まった大新聞なのだ。

 しかし、この事件に『文春』が述べたような背景があることには、まったく触れていない。そもそも西村氏や在特会による抗議が発端だったことすら、1行も触れていないのである!

 ちなみに在特会の起こした事件と言えば他にも、「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」が有名。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%85%AC%E5%9C%92%E5%8D%A0%E7%94%A8%E6%8A%97%E8%AD%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 平日、授業中の学校前で、差別的な暴言を拡声器でがなりたてたので、泣き出す子供もいたという。

はだしのゲン』は「発達段階の子供にトラウマとなる」? かもしれない。だったら在特会の行為はどうなるんだ?

 こんなことを平気でやらかす連中が、最初から子供へのトラウマのことなんか考えてるわけないだろう。

 そもそも戦争を題材にするなら、残酷なシーンはどうしても出てくるわけで、それをいちいち「子供にトラウマになる」なんて言ってたら、それこそ子供が戦争を知ることができなくなってしまう。むしろトラウマになるぐらいでないと、戦争の悲惨さは学べないのではないのか。

 こっちの記事も面白い。

三光作戦なんてウソなのは当然……それでも『はだしのゲン』を図書館から排除してはいけない理由

http://www.cyzo.com/2013/09/post_14381.html

 そうそう、あったなー、「船橋市西図書館蔵書破棄事件」と「BL小説廃棄要求事件」。

 11年前の船橋市西図書館の職員も、5年前に堺市立図書館にBL本の排除を要求した奴も、あるいは「非実在青少年」を取り締まろうとする東京都も、そして今回の『はだしのゲン』を排斥しようとしている連中も(その逆に、『はだしのゲン』を子供に読ませようとする連中も)、立場は違うが、やってることは同じである。自分が気に入らない本を排斥することで、子供の思想を自分たちに都合よく誘導しようとしている。それが正しいことだと信じているのだろう。

 しかし、その同じ論理が、自分たちのお気に入りの本に対して向けられた場合の恐ろしさを、まったく理解していない。

「歴史的に間違っている」

「政治的に偏向している」

「残酷なシーンがある」

 そんな理由でマンガを排斥するのが正しいと思っている連中はぜんぜん気がついていないようだけど、その基準だと、小林よしのり戦争論』や山野車輪嫌韓流』も排斥しなくちゃいかんことになるんだよ(笑)。

 もし「『嫌韓流』を子供に読ませるな」という動きが起きたらどうなるだろう。「言論の自由を守れ!」と『はだしのゲン』騒動に匹敵する反対運動が起きるのは目に見えている。僕だって反対する。

「歴史的に間違っている」「政治的に偏向している」などという理由で排斥していいなら、右寄りだろうと左寄りだろうと、ものすごい数の本がその対象となるのは明らかだ。そうした本が自由に読めなくなる世界を想像すると恐ろしい。

 それとも彼らは、自分の読んでいる本が歴史的に正確で偏向してないとでも信じてるんだろうか? (かもしれんなあ)

 僕としては、教師が『ゲン』を子供に読ませるのは間違いだと思う。しかし、子供が自主的に読むのを妨害するのも間違いだと思う。

 3年前、僕はこういうことを書いた。

ヘドが出るような思想であっても

http://hirorin.otaden.jp/e95490.html

「ヘドが出るような

 思想に対しても

 表現の自由

 保証されなければ

 本物の自由とは言えない」

>「表現の自由を守る」とは、「自分にとっての表現の自由」だけでなく「敵にとっての表現の自由」をも守ることを意味している。そうでなくてはフェアではない。

> もしあなたが、自分にとって不快な思想を社会から排除することに賛成したなら、いずれあなた自身も排除の対象となる。なぜなら、どんなに健全に見える考えでも、誰かから見たら「ヘドが出るような思想」なのだから。

> 無論、その「ヘドが出るような思想」を批判する自由や、「ヘドが出るような思想」を聞きたくない自由もまた、保証されなくてはならないのだが。

 この考えは今も変わっていない。

 歴史的に間違っていようと、政治的に偏向していようと、そうした本を出版する権利はあるし、読む権利も保障されなくてはいけない。

 そして、その本を批判する権利も保障されなくてはならない。気に入らない本に対しては、弾圧ではなく、言論で対抗すべきなのだ。

 あっと、言うまでもないけど、在特会の起こしたような事件は「言論の自由」のうちに含まれないからね。侮辱罪・威力業務妨害罪・強要罪というのは犯罪行為だから、許しちゃいけない。