何を許して、何を許してはいけないか

 昨日の記事の中でちょっと説明不足の点があったのを補足。

 こういう問題で難しいのは、言論の自由との兼ね合いである。

 9年前に『トンデモ本の世界R』(太田出版)でも書いたが、僕は差別問題に関するマスコミの表現自主規制、いわゆる「差別語狩り」には反対の立場である(というか、「差別語狩り」を支持している作家など、たぶん一人もいないと思う)。

 なぜなら、それは差別をなくすことにはつながらず、むしろ問題から目をそらせているだけだからだ。これは僕だけの考えではない。部落解放同盟中央本部も、1975年、マスコミの自主規制に対して、「逆に問題の解決をおくらせるもの」「臭いものにフタという考えにほかならない」として、はっきり反対する声明を出している。

 些細なことでも「差別だ差別だ」と過敏に騒ぎ立てるのは、言論の自由を阻害することになるうえ、逆に被差別者への嫌悪をかきたてることになりかねない。

 だから、言論を抑圧して良いのは、本当にひどい差別発言であることが明白な例に限定すべきである。

 では、何を許して、何を許すべきではないのか。僕の指針はこうだ。

・悪いことや間違ったことをした者を非難するのはOK。

・何も悪いことをしていない者を非難するのはダメ。

 見ての通り、当たり前すぎるほど当たり前のことである。

 たとえば精神障害者が殺人を犯した場合、犯人に対する怒りを表明するのはかまわない。しかし、精神障害者全体を非難してはいけない。前にも書いたように、精神障害者のほとんどは罪など犯していないからだ。

 これは「在日外国人」「被差別部落出身者」「ゲームマニア」などの場合も同じ。罪を犯した者だけを非難せよ。同じグループに属する、罪のない大多数の者に攻撃の矛先を向けるな。

 罪のない者を攻撃するのは悪だ。

 もちろん、処女でない女性を「中古」「ビッチ」と罵るのも悪。なぜなら、処女でないことは何も悪いことではないからだ。

 じゃあ、罪を犯した者に対しては何を言ってもいいのか……というと、それも違う。

 たとえば、人を5人殺した犯人を非難するのに、「あいつは10人殺した」と言ってはダメ。それはウソだからだ。

・事実を元に批判するのはOK。

・事実ではないことを元に批判してはダメ。

 前の『アイマス2』問題と同じである。現実と妄想の区別をつけよう、ということなのだ。

 たとえば「精神障害者は犯罪者予備軍」というのは事実ではない。だから、そんなことを主張してはいけない。

 ネットでよく見かける「韓国は世界一のレイプ大国」という話もウソ。統計によれば、人口当たりのレイプ率が最も高いのは南アフリカ。韓国は16位で、アメリカよりずっと低く、スペインやフランスと同程度である。

http://www.nationmaster.com/graph/cri_rap_percap-crime-rapes-per-capita

 この場合、「南アフリカは世界一のレイプ大国」と言ってもかまわない。統計という証拠があるからだ。しかし、「韓国は世界一のレイプ大国」というのはデマであり、それを吹聴するのは悪質な差別である。だからダメ。韓国を批判してもいいが、それはあくまで事実に基づくべきである。

 僕は中国という国が嫌いである。しかし、2年前の神州7号騒ぎの際には、「宇宙遊泳の映像は捏造だ」と主張する連中を徹底的に批判した。なぜなら、あの宇宙遊泳の映像には捏造の証拠など何も映っていなかったからだ。

 犯してもいない罪を人になすりつけてはいけない――これも当たり前のことだろう。「奴らを貶めるためならウソをついてもいい」という考え方は、断じて正義ではない。悪である。

 悪はじゃんじゃん糾弾すべし。ただし、自分が悪になってしまっては本末転倒である。常にフェアであることを心がけるべきだろう。