平井チルドレンに残された大きな宿題

 前にこのブログで、平井和正桑田次郎『エリート』のすごさについて語った。

http://hirorin.otaden.jp/e271.html

 平井・桑田コンビは、『8マン』や『超犬リープ』でも有名だが、僕が好きな作品のひとつは、『デスハンター』である。〈週刊ぼくらマガジン〉に1969年から70年にかけて連載された長編だ。(のちに平井氏自身の手によって、『死霊狩り ゾンビー・ハンター』と改名されて小説化される)

 デスとは、宇宙からやって来た緑色の不定形生命体。それに憑依された人間は、姿形は変わらないが、不死身の肉体と怪力を有するようになる。

 カーレーサーの田村俊夫は、シャドウと名乗る謎の人物に勧誘され、カリブ海の孤島で苛酷なサバイバル試験を受ける。多くの犠牲者が出る中、生き延びた俊夫、アラブゲリラのリュシール、中国の秘密工作員・林石隆らは、デスハンターに任命される。その使命は、人間社会にまぎれこんだデスを見つけ出し、抹殺すること……。

 とまあ、これだけならよくある話だが、『デスハンター』のすごさは、人間の側の愚かさや残酷さが、これでもかというほどしつこく描写されること。確かにデスも危険だが、作中での死者の多くは、人間同士の殺し合いによるものなのだ。

 後半、人間の愚行をさんざん見せつけられた俊夫は、ついに人類を見限ってデスとなり、人類を糾弾する側に回る。

「人類こそ本当に荒々しく邪悪な生物だっ。

 人類の敵は決して宇宙人なんかじゃない……

 人類の本当の敵とはほかならぬ人類なのだっ。

 地球人類こそ宇宙に住む本当の意味の化物なんだ」

 ラスト近く、俊夫は「宇宙救済協会」という新興宗教団体を旗揚げし、「不死身の肉体が得られる」という謳い文句で、多くの信者を集める。その目的は、全人類をデスと同化させること。すべての人間がデスになれば、人間同士が殺し合う時代は終わり、素晴らしい世界が生まれるだろう……。

 このあたりの展開は、のちに平井氏自身が宗教団体GLAにのめりこみ、教祖のゴーストライターまで務めた事実を連想させ、未来を予見していたように読めてしまう。

 マンガだけではない。平井氏は小説の中でもしばしば、愚かな人類に対する怒りをストレートに読者にぶつけてきた。

 僕が印象に残っているのは「ロボットは泣かない」という短編。初出は〈SFマガジン〉1963年8月号の「機械が支配する!」というロボット特集号。アシモフ「われ思う、ゆえに…」、ブラッドベリ「長かりし年月」、バウチャー「Q・U・R」、レム「君は生きているか?」などと並んで掲載されている。僕は高校時代に〈SFマガジン〉のバックナンバーで読んだ。

 主人公は中古の女性型アンドロイドを格安で手に入れる。彼女は前の持ち主にひどい虐待を受け、脚の部品が壊れてびっこを引いていた。主人公は彼女をかわいそうに思うのだが、彼の周囲の人間、友人や妻や子供までも、ロボットを露骨に蔑視し、アンドロイドをかばう主人公を白眼視する。しかし、アンドロイドは決して人間を恨まず、ただひたすら迫害に耐え忍ぶ……。

 この話に結末はない。何ら問題が解決されず、救いもないまま、絶望のうちに終わってしまう。

 人類は凶暴で下等な生物──それが平井氏の初期作品を貫くテーマだ。もちろん人間の愚かさや残酷さを描いた小説なんて、SFでなくてもたくさんあったが、平井氏のすごさは、一部の人間の悪行ではなく、人類という種族全体をまるごと否定したことだ。

 それらの作品は“人類ダメ小説”と呼ばれる。

(もちろん、そうした考えも平井氏が世界で初めて思いついたわけではない。たとえば『デスハンター』の中には、明らかにハミルトンの「反対進化」をヒントにしたくだりがある)

 人類の愚かさを浮かび上がらせるために、平井氏は人類よりも高潔な存在を設定する。アンドロイドや宇宙生命体、あるいは狼を。 ヒット作となった『ウルフガイ』シリーズなども、主人公を狼男に設定し、狼を高潔な生物として描いていた。

 もちろん、狼が人間よりも誇り高いというのは、あくまでフィクション、人間の勝手な思いこみである。グループSNEが結成された直後、みんなで動物園の見学に行ったことがあるのだが、檻の中でグデ〜ッとなっていて、人間が近づくと嬉しそうに尻尾を振る狼を見て、「狼の誇りはどうした!?」「犬神明を見習え!」と、みんなでツッコんだものである。

(もちろん、平井氏はシリアスな作品ばかり書いてきたわけじゃないこともつけ加えておく。『超革命的中学生集団』は、まさにライトノベルの元祖と呼べるハチャハチャでパワフルな話で、僕は大好きだった。「星新一の内的宇宙」というショートショートもお気に入りである)

 僕らの世代のSFファン・SF作家の多くは、若い頃に読んだ平井氏の“人類ダメ小説”に影響を受けている。

 僕の作品で言うなら、『神は沈黙せず』や『アイの物語』や『UFOはもう来ない』などに出てくる「人類は知的生物としては重大な欠陥がある」とか「人類は実は知的生物じゃない」というビジョンは、やはり平井作品の強い影響下にある。 と言うより、たぶん平井作品を読んでいなかったら、決して書かれなかった作品だと思う。

 やはり平井ファンであることを公言している新井素子さんの初期作品、『いつか猫になる日まで』や『宇宙魚顛末記』とかも、人類はちっぽけでいつ滅びてもおかしくないんだという、ある種ニヒルな考えがベースになっているが、あれなんかも平井氏の“人類ダメ小説”の影響ではないかと思える。

 新井作品の中でいちばん平井っぽいと思うのは『……絶句』。狼ではなくライオンを高潔な存在として描き、人間と対比させていた。

 確かに、“人類ダメ” という認識は刺激的で、腑に落ちるものである。若い頃にハマってしまうのも当然だ。しかし、落とし穴もある。

“人類ダメ”で止まってしまって、その先に進まないのだ。

 人類がダメってことは、『エリート』のアルゴールが言うように、人類を滅ぼせばいいのか? でも、「人類は滅びました。終わり」というのも、結末として安直すぎないか?

 あるいは『デスハンター』の俊夫が言うように、全人類がデスになったら、本当に理想の世界が来るのか? 僕には信じられない。たとえ最終的にそうなるにしても、その過程でおそらく、すさまじい規模の混乱と殺戮が繰り広げられるに違いない。それはダメな人類がやってきたこととどう違う?

 それに「人類なんてダメだよ」と言うのは簡単だけど、そう言う自分自身も人類の一員だという事実を忘れてはいけない。

“人類ダメ”というのは、決して大衆を見下すエリート思想じゃない。自分自身のダメさをも見つめることなのだ。 ダメな人類である自分がそんなに賢明であるわけないと認識することなのだ。

 じゃあ、どうすればいいんだ?

 自分も含めた人類がダメなら、いったいどこに希望がある?

「ロボットは泣かない」が尻切れトンボで終わっていることが象徴するように、平井氏はこの問題に対する明確で現実的な回答を出せなかったんじゃないかと思う。

 その後、新興宗教にハマったりしたのも、自分が提示した“人類ダメ”思想に追い詰められて、脱出口を求めた結果だったのかも……という気もする。ダメな人類を天使様が導いてくださるのではないか、と思ったのかもしれない。

 もちろん僕は(おそらく多くの平井ファンも)、そんなところに本当の救いなんてないと分かっていた。

 だって宗教なんて、ダメな人類が思いついたもののひとつにすぎないじゃないか。宗教が原因でどれほど多くの争いが起き、血が流されてきたことか。(今もまさに、そうしたことが起きている)

 平井氏はなぜ、人類の所業の中で、宗教だけはダメじゃないと思ってしまったのか。それは僕には理解できないことである。

 だから70年代後半以降の平井作品には失望したものの、それでも平井氏の初期作品が(マンガ原作も含めて)素晴らしいものだったことは間違いないし、僕らの世代が大きな影響を受けたことは否定できない。

 作家・平井和正は本当に偉大な人だった。

 僕ら平井チルドレンにとっては、いわば平井氏の提示した“人類ダメ”という概念がスタート地点であって、それをどう克服するかが課題だった。

“人類ダメ”を否定するんじゃない。“人類ダメ”であることを認めたうえで、それを超える回答を提示するのだ。

 新井さんの『ひとめあなたに』はまさにそうした作品だと思う。地球滅亡を前にした人々のドラマを通じて、人間の醜さや欠陥を描きながらも、最後はやはり「生まれてきて良かった」という結論に到達する。

 僕の場合は『神は沈黙せず』がそれで、人間は神と対話することさえできないちっぽけな存在にすぎないけれど、それでも正しく生きてゆくべきだと書いた。『アイの物語』では、人類はダメであっても、人類の生み出した人工知性は我々よりも賢明な存在になり、ヒトが到達できなかった高みを目指すことにした。

 そう、認めよう。人類はダメだ。まともな知的生物なんかじゃない。

 それは今、世界で起きていることを見れば分かる。

「真の知性体は罪もない一般市民の上に爆弾を落としたりはしない。指導者のそんな命令に従いはしないし、そもそもそんな命令を出す者を指導者に選んだりはしない。協調の可能性があるというのに争いを選択したりはしない。自分と考えが異なるというだけで弾圧したりはしない。ボディ・カラーや出身地が異なるというだけで嫌悪したりはしない。無実の者を監禁して虐待したりはしない。子供を殺すことを正義と呼びはしない」

──『アイの物語』

「なぜ地球人は、人間どうしにくみあい、殺しあうのか。つみもない子どもまでまきぞえにしてしまっても平気なほど、戦争がすきなのか。人をにくみ、殺しあうことがすきなのか。地球人のひとりとしてこたえてみよ!」

──『エリート』

 半世紀前にアルゴールの(そして平井氏の)突きつけた問いは、どれだけ時が経とうと、決して色褪せない。

 言ってみれば、僕らは平井氏の残した大きな宿題に、懸命に取り組んでいるのだ。これまでも、これからも。