小松左京氏死去

 第一報を聞いたのは昨日の昼、編集者からの電話だった。慌ててネットで調べて事実だと知った。

 以前からお体が悪いらしいということは耳にしていたので、「ああ、やっぱり」という印象だ。

 人間が不老不死ではない以上、しかたのないこととはいえ、時代を担った偉大な人が次々に亡くなっていくのは悲しい。

 前に小松氏の短篇集『すぺるむ・さぴえんすの冒険』(福音館書店・2009年)のために書いた解説(以前にも一部をこのブログに載せたことがあるが)があるので、それを引用して弔辞に代えたい。

 この文章を書くために小松氏の作品リストを調べていて、短篇の本数を数えるのがやたらに大変だったのを記憶している。その作品のほとんどがデビューから20年以内に書かれていることと、自分も処女長編から20年経っていることに気づいて、あまりの差に愕然となったことも。

 なお、収録作品を選出したのは僕ではない。いや、いいセレクトだとは思うけど。

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解説 偉大なSFの巨人

                山本弘

 小松左京さんは間違いなく日本で最高のSF作家です。

 一九三一年生まれ。雑誌記者やラジオの漫才台本の作者などの職業を経て、一九六二年、『SFマガジン』一〇月号に掲載された「易仙逃里記」でプロ作家としてデビューされました。代表的な長編には、『日本アパッチ族』『エスパイ』『復活の日』『明日泥棒』『果しなき流れの果に』『見知らぬ明日』『継ぐのは誰か』『こちらニッポン…』『さよならジュピター』『首都消失』『虚無回廊』などがあります。一九七三年の『日本沈没』は大ベストセラーになり、二度も映画化されました。短篇はデビューから二〇年間に約二五〇本も発表されており、同じぐらいの数のショートショートもあります。

 その作品傾向もバラエティに富んでいます。現代日本を襲う異常事態を描いた『日本沈没』『首都消失』のような社会派SFや、『果しなき流れの果に』『さよならジュピター』『虚無回廊』のような壮大なスケールの本格SFがあるかと思えば、爆笑のドタバタ・コメディやパロディや社会風刺、ぞっとするホラーやサスペンス、軽いオチのついたショートショート、しんみりした人情話、子供向けのSF童話、大人向けのエロチックな小説……小松さんが書いていないジャンルを探す方が難しいぐらいです。しかも苦手なジャンルというものがないのか、どんな話もとても上手いのです。小説だけでなく、エッセイやノンフィクションもたくさん書かれています。

 僕の場合、小学校高学年の時に、父が買ってきた小説誌に載っていた、「子供たちの旅」や「模型の時代」といった短篇SFを読んだのが最初です。特に「模型の時代」は、人々がプラモデル作りに熱中している未来世界を描いたコメディで、子供心に「こんな面白いものを書く人がいるんだ」と感心したものです。それ以来、多くの作品を読んできて(それでも膨大な全作品の三分の一ぐらいでしかないのですが)、いろいろな影響を受けました。

 今では僕もSF作家です。しかし、最初の長編の出版から二〇年以上になるのに、作品の数でも質でも、この巨人の足元にも及びません。この先も当分、小松さんを上回るSF作家は現われないのではないかと思います。

 その小松さんの短篇の中から、ここに紹介するのはたった六作品です。本当はこの何倍もの数の傑作がひしめいているのですが、一冊の本に載せられる分量には限りがあるので、しかたありません。いわば“小松左京入門編”として、その才能の一端を味わっていただきたいと思います。

 各作品について解説していきましょう。

●「夜が明けたら」

 初出は『週刊小説』一九七四年一月四日号。

 小松さんにはホラー・タッチのSFが多いのですが、中でも特に秀逸なのがこれ。ある夜、平凡な家庭で起きた奇妙な停電を発端に、何が起きたのかがしだいに分かってくるにつれ、じわじわと恐怖が広がっていきます。

 幽霊も怪物も殺人鬼も出てこないし、血の一滴も流れませんが、そんなものなくても、十分すぎるほど恐ろしい話です。なぜこんなことになったのかという説明がまったくないのが、かえって不安をかきたてます。特に、静かだけれど息詰まるラストシーンは、一生忘れられないことでしょう。

●「お召し」

 初出は『SFマガジン』一九六四年一月号。

 SFには「突然、世界中からほとんどの人間が消えてしまう」という話がよくあります。僕も「審判の日」という話を書いていますし、小松さんにも長編『こちらニッポン…』や短篇「霧が晴れた時」があります。

 この「お召し」では、異星人か何かのしわざで、一二歳以上の人間がすべて消えてしまった世界での、子供たちによるサバイバルが描かれます。「夜が明けたら」と同じく、わけも分からずに異常な状況に投げこまれてしまうという、不条理と絶望感に満ちています。最後に語り手の少年が遺すメッセージが、せつない余韻を漂わせます。

●「すぺるむ・さぴえんすの冒険」

 初出は『野性時代』一九七七年二月号。

 こちらは本格SF。遠い未来、人類の運命を背負った一人の男の決断が描かれます。

「夜が明けたら」「お召し」などもそうですが、小松さんの作品には、神のような力を持つ高度な存在が人類に干渉してきたり、原因不明の大規模な異変が世界を襲うという話がよくあります。短篇だと「蟻の園」「人類裁判」「新趣向」「物体O」など。時間と空間を股にかける壮大な物語『果しなき流れの果に』などもそうですが、“宇宙規模の巨大な力vsちっぽけな人間”というテーマが、小松さんはお好きなようです。

 旧約聖書の「ノアの箱舟」の話では、堕落した人類を滅ぼすために神が世界に大洪水を起こし、神からのメッセージを受けたノアとその一家だけは、箱舟を作って洪水から逃れます。この「すぺるむ・さぴえんすの冒険」でも、主人公はノアと同じような状況に置かれるのですが、「私はノアほど素直じゃないし、ノア自身でもない」と言い放ちます。絶望の底にあってもなお、自分の責任と“地球ローカルのモラル”を貫こうとする主人公の行動が胸を打ちます。

●「牛の首」

 初出は『サンケイスポーツ』一九六五年二月八日号。

 元は作家仲間に伝わっていた話を、小松さんが小説にアレンジしたもの。今では多くの人に知られるようになった都市伝説ですが、世間に広まったのはこの作品がきっかけです。近年では、同じパターンの「地獄の牛鬼」「鮫島事件」という話も、ネット上で語られています。

 当然、本当にそんな話があるんだと信じてしまう人もいます。ネット上では、「ついに『牛の首』のルーツを見つけた!」とか「これこそ本物の『牛の首』だ!」というふれこみで、誰かの創作した物語を実話であるかのように語っている人が何人もいるのですが……うーん、正直言ってあまりこわくない(笑)。だいたい、気軽に他人に語れるようなものなら、すでに「牛の首」じゃないだろう、と思うんですが。

●「お糸」

 初出は『SFマガジン』一九七五年二月号。

 最初は「ああ、江戸時代を舞台にした時代小説なのか」と思って読みはじめると……あれれ? 何だかおかしなことになってきます。そう、ここはあなたが教科書で知っている江戸時代ではないのです。下手すればギャグになりかねない話なのに、リアルな描写を積み重ねることで、美しく味わいのある話に仕上がっています。

 それにしても、この世界の魅力的なことときたらどうでしょう。ヒロインのお糸のセリフではありませんが、なぜこんな世界であってはいけないのか、本当の歴史の方が間違っているんじゃないか、という気がしてくるではありませんか。

 別の歴史を描く話としては、他にも「地には平和を」という傑作があります。こちらは昭和二〇年に太平洋戦争が終わらず、本土決戦に突入した日本を描いた話です。

●「結晶星団」

 初出は『SFマガジン』一九七二年九月臨時増刊号。

 遠い未来、地球から一〇〇億光年も離れた遠い宇宙の一角を舞台に、一四個の恒星が結晶状に並んだ奇妙な星団の謎を探る力作です。表面的には本格SFですが、ストーリーはむしろホラー。古代文明の遺跡に残されたメッセージ、不吉な予言、よみがえる邪悪な存在といった、ホラーでおなじみのモチーフがちりばめられており、のちに日本でもメジャーになるクトゥルー神話を連想させます(まったくの偶然でしょうが、この作品が掲載された『SFマガジン』はクトゥルー神話特集でした)。

 しかし、単にホラーの舞台を宇宙に移し変えた話ではありません。ムム族やズス第六惑星人などのユニークな異星人たちや、ワープ装置や無機脳のような超未来のテクノロジーが登場し、驚きに満ちた物語が展開します。まさにSF本来の魅力にあふれた作品と言えるでしょう。

 どの作品についても言えるのは、三〇年以上前に書かれたというのに、ちっとも古くなっていないことです。傑作は時代を超えて面白いのです。

 くり返しますが、ここに収録された作品以外にも、小松さんには優れた短篇がたくさんあるのです。こわい話が好きな方には、「影が重なる時」「召集令状」「くだんのはは」「骨」あたりをおすすめしておきます。「すぺるむ・さぴえんすの冒険」が気に入った方なら、「神への長い道」「人類裁判」「袋小路」なども気に入ると思います。笑える話が読みたい方なら、「新趣向」「模型の時代」「タイム・ジャック」などがおすすめです。

 小松さんのSFを一作も読まずに一生を終えるのは、人生かなり損しています。