ファンタジーじゃがいも警察の話
【定番議論】ファンタジーを描く時、食物や単位やマナーや言葉…の何を現実世界と共通させ、何を創造すべきか?
中世ヨーロッパ風のファンタジーで、新大陸原産の「じゃがいも」が出てくるっておかしいんじゃないの……という話から派生した議論。
これを読んでて思い出した。もう30年近く前、『モンスター・コレクション』(富士見文庫)を書いた時に、「コウモリ」の項で、吸血コウモリは南アメリカにしかいないから、「普通は中世風のファンタジー世界には出てこない」って書いたことがある。
後になって反省した。ドラゴンとかキマイラとかゴブリンとかがいる世界なら、べつに吸血コウモリいてもおかしくないよね(笑)。我々の世界の吸血コウモリとは違う、この世界独自に進化したコウモリがいるということにすればいいんだから。
上の議論の中でも言及している人がいるけど、『グイン・サーガ』の世界では、当初、我々の世界の馬によく似た生物がいて、それを作中で「ウマ」と表記している……という設定になっていた。
じゃがいもにしても、その世界にはじゃがいもによく似た作物があって、それを作中では「ジャガイモ」と表記している……と解釈すればいいだけだ。
ただ、この手の問題、どこまで読者に親切にすればいいのか、よく悩む。
子供の頃に観たTVシリーズの『スーパーマン』の中では、吹き替えで「7000万円」といった台詞がよく出てきた。当時は1ドル=360円だったから、実際には20万ドルなのを、日本の視聴者向けに分かりやすく円に置き換えたのだろう。
でも、アメリカ人が「7000万円」と言うのは、やはり違和感を覚えたものだ。
こうした単位の置き換えというのは、現代の洋画の翻訳でも頻繁に行なわれている。たとえば『スピード』では、バスが時速50マイル以下になると爆発するという設定だが、翻訳では「80キロ」と言っていた。温度の華氏を摂氏に置き換えている例もよくある。
現代のライトノベルなどのヨーロッパ中世風ファンタジー世界の中で、「メートル」という単位が出てくるのも同じ。この世界の単位を日本人向けに訳してるんだろう。
……とは思うんだけど、やっぱりひっかかってしまう。
もし、ファンタジー世界の人物が「このジャガイモは3個で100円だ」とか言ったら、違和感ばりばりだろう。やっぱりどこかに線を引く必要がありそうだ。
そもそも、馬に似た生物を「ウマ」と表記したり、この世界の距離単位を「メートル」に換算したりするのは、はたして読者への親切になっているのだろうか。
そういう表記をしないと、読者は作品の設定が理解できないものなのか?
そんなことはない。そんな問題は100年も前にエドガー・ライス・バローズが通り過ぎている。
火星用語辞典
Dictionary of Barsoomian Language
http://www.princess.ne.jp/~erb/dic_mars.htm
ペルシダー用語辞典
Dictionary of Pellucidarian Language
http://www.princess.ne.jp/~erb/dic_pell.htm
金星用語辞典
Dictionary of Amtoran Language
http://www.princess.ne.jp/~erb/dic_vens.htm
火星で用いられる8本足の乗用動物、地球における馬に相当する生物は、ソートと呼ばれている。わざわざ「ウマ」などと書き変えてはいない。
火星や金星では、距離の単位や時間の単位も違う。ペルシダーなどは陽が沈まなくて昼夜の区別がない世界なんで、我々のような時間の単位すらない。それでも特に、読むのに支障は生じない。
数十個の造語を設定するのは、作者にとってそんな大きな労力じゃないし、読者にとっても重荷じゃない。「バローズの小説は独自の造語がいっぱい出てきて難解だ」と批判する人なんて、見たことがない。
馬に相当する生物を、「ソート」と呼んでも、作中では何の支障もない。
だったら、じゃがいもに似た作物だって、たとえば「ボルート」とかいう名前で呼んでもいいんじゃないだろうか?
けっこう安直に異世界感が出ると思うんだが、なぜみんなそうしない?
どうも現代日本の異世界ファンタジーの多くは(もちろん例外もあるが)、「異世界」じゃなく、「なじみの世界」を描いてるんじゃないかという気がする。
じゃがいもなどの、この世界に普通にあるものや、エルフやゴブリンやドラゴンなど、ファンタジーRPGでおなじみの要素ばかり使っている。それを読んだ読者も「異世界とはこういうものだ」という固定観念に縛られている。
「異世界」と呼んでいるが、実は読者が知っている要素だけで構成されている。
想像力や創造力という点で、100年前のバローズより後退してるんじゃないだろうか。