「『SFマガジン』を創刊号から読もう」(報告)

 先日告知したイベント、無事終了いたしました。客の入りは「女ターザン」の回より多かったです(笑)。お越しいただいたみなさん、ありがとうございます。

 ものすごく濃い人が来て「そこ間違ってるぞ」とツッコミ入れられたらどうしようかと思ってたんですが、そんなことはありませんでした。やっぱり60年代の『SFマガジン』を読んでる人はほとんどいないようです。

 有名な作品については、読んだことがあるかどうか観客に挙手してもらったんですが、驚いたことに、シェクリイの「危険の報酬」でさえ、読んでた人がほとんどいませんでした。確かに今、手に入りにくいからなあ、シェクリイアメリカのテレビ放送黎明期に書かれた作品ですが、今読んだ方が面白いと思います。

 クリス・ネヴィルの「ベティアンよ帰れ」も、やっぱり読んでる人が少ない。一時は「アルジャーノンに花束を」と並ぶ名作だったはずなんだけどねえ。

 あと、「創刊2号に中曽根康弘氏(当時は科学技術庁長官・国務大臣)の祝辞が載ってた」とか「安部公房氏の作品が『SFマガジン』に載ってた」とか「筒井康隆氏は弟の作品の方が先に掲載されてた」とか「小松左京氏の『地には平和を』は第一回のSFコンテストで落選してた」とか「光瀬龍氏は東宝怪獣映画『マグラ!』のノヴェライズを書いてた」とか、ちょっとしたトリビアでいちいち「へぇー」という声も。うーん、やっぱりこういうことは語り継がなきゃだめなんですかね。

 個人的には、僕がすごいバカSFだと思ってる作品群──バンクスの「電送人間」とか、ドニェプロフの「むらさきの女」とか、ダンセイニの「電離層の幽霊」とか、グリンネルの「生きているボロ」とか、ハミルトンの「樹のごときもの歩む」とか、海野十三の「宇宙女囚第一号」とかで、お客さんがきっちり受けていたのが嬉しかったです。いやあ、バカでいいよハミルトン!

 逆に紹介が難しいと感じたのは、“せつない系”のお話。エムシュウィラーの「ベビイ」とか、パジェットの「黒い天使」とか、クリストファー・ヨウドの「クリスマス・ツリー」とか、アーンダールの「広くてすてきな宇宙じゃないか」とか、どれもいい話なんだけど、あらすじだけ語っても魅力を伝えにくいんですね。

 サスペンス系の作品では、ダニエル・F・ガロイの「プライアブル」。宇宙船内で連続殺人が起きるSF版『そして誰もいなくなった』。何とか復刻できませんかね、これ。埋もれさせるのは惜しい。

 あと、ストルガツキーの「最初の試み」やスタージョンの「少数報告」のように、今となっては科学的に否定されていて成立しなくなった話もいろいろ。ロソホバツキーの「砂漠の再会」も、アイデアは抜群に面白いんだけど、科学的に無理がありすぎるから、今のSF作家は書かないでしょうなあ。

「今となっては読めない話」と「今となっては書けない話」が多いことを痛感しました。

 今回の企画のために、バックナンバーをいろいろ読み返してたんですが、やっぱりキャサリン・マクリーンやキャロル・エムシュウィラーが面白いことを再確認。

 あと、昔から不思議なんだけど、何でアルジス・バドリスの『無頼の月』は単行本になってないんですかね。謎。

 今回は創刊号から50号まででしたが、4月に続きをやります。今度は51号から100号までを取り上げる予定。