日下一郎『“世界最後の魔境"群馬県から来た少女』
>「群馬県から来た少女」コヨトルが、物語の主人公・羽柴(はしば)グンの通う東京の学園に転校してきた。
>その目的は、世間に「田舎だ」「秘境だ」と言われ続けている群馬県による世界支配だという。誰もが絶対無理だと思うのだが、コヨトルは故郷群馬のために決心を変えず、群馬によるさまざまな世界支配計画を開始し、次々に騒動を巻き起こしていく。
>やがて舞台は群馬県へと移り、かつて世界を破滅させたという邪神「群馬王」の復活をめぐる大バトルが勃発してしまう……!
>群馬県協力のもと、群馬県の「あるあるネタ」をこれでもかと盛り込んだご当地ライトノベルが誕生!
>※この物語における「群馬県」については、インターネット等において言われる「ものすごい田舎。田舎を通り越して秘境」というイメージを誇張したものであることをあらかじめお断りしておきます。群馬県の人、怒らないで!
PHPスマッシュ文庫というと、『うちのメイドは不定形』『ウルトラマン妹』『未完少女ラヴクラフト』『奥ノ細道・オブ・ザ・デッド』などなどの変な発想のラノベ(いちおう上記作品全部読んでますが)をいろいろ出しているレーベル。しかし、これはまた変な……というか、スマッシュ文庫以外じゃ通りそうにない企画である。
最近、アニメで町興しというのはよく聞くけど、ラノベで群馬をPR? うーむ、効果はあるんだろうか。
疑問に思いつつも読んでみた。この作者の前作『妹戦記デバイシス』がけっこう面白かったし。
読んでみたら大当たりだった。
とにかく全編、ギャグがぎっしり! ノリ的には川岸殴魚『邪神大沼』シリーズ(ガガガ文庫)に近いけど、『大沼』が脱力系ギャグなのに対し、こっちは徹底的にハイテンション! 最初から最後までダレる間もなく、猛スピードでナンセンスなドタバタが展開するんである。
アニメやマンガやラノベの定石をおちょくりまくり、むちゃくちゃな展開に作者自らツッコミを入れたり、はたまた開き直ったり。そのうえ隙あらば挿入されるアニメやマンガなどのパロディ。ギャグの入ってないページがほとんどないぐらい。何度も何度もしつこくくり返されるギャグ(特に関谷先生がコヨトルを尋問する方法)が、一回ごとに変化してゆくという構成の妙。
かんじんの群馬ネタだが、群馬の名所(どこも印象が薄い)、群馬の名産(どれもいまいちショボい)、群馬ゆかりの歴史上の有名人(国定忠治以外は知名度低い。高山彦九郎は名前だけなら京都人に知られてるけど、「京阪三条のところで土下座してるおっさん」という程度の認識だよなあ)などなどをありったけ詰めこんでいる。しかもそれらがどれもちゃんとギャグとして機能しているのだ。
これが群馬県が正式に協力してるってんだからすごい。ほんと、器広いな、群馬県庁。
だから読んでると自然に群馬に詳しくなってきちゃうんである。見事な群馬PR。役に立つかどうかは分からんけど。たぶん観光になんか行かないし(笑)。
さらにそのうえ、群馬と中央アメリカ古代文明の意外なつながり(もちろん創作だけど)を明らかにする伝奇ノベルでもあるという贅沢さ。
ギャグもののラノベは数多いが、ここまでギャグ密度の高い作品はなかなかない。だってギャグ書くのって疲れるから。だいたい作者が途中で力尽きて、シリアス展開に走ったりするから。
しかし、この作者はシリアスに逃げない。最後の最後で、ほんのちょっとシリアスっぽくなるだけで、あとは全編(あとがきに至るまで)ありったけのギャグを詰めこんでいる。
これは死ぬ。
こんな書き方してたら作者死ぬ。
もっとこういう作品を読んでみたい気もするが、これは量産できないだろうなあ。奇跡のような一冊である。
さて、AMAZONの評価を見てみると……あれ? 評価低いぞ? 何でだ?
レビューを読んでみると。
>ハチャメチャな展開はいいと思います。
>ですが、登場するキャラクターがすべて同じ口調で、同じような行動しかしないのが
>私的にはどうにも残念でなりません。
>終盤は同じことの繰り返しで、まさに作業と化しています。
>途中からテンプレを用意して、ところどころ変えただけのようなストーリーが4回続きます。
>ギャグのネタもイマイチ古く残念な仕上がりです。
>ストーリー、キャラクター設定がめちゃくちゃとしか言い表せない。
>でもストーリーは、滅茶苦茶。
>特に後半はネタが無いのか、場所を群馬県内で4か所移動しただけで、ほぼ同じストーリーの繰り返し。
ぎゃあーっ!!!!!
こいつら「くり返しギャグ」という概念を理解してねえ!
ああ、そうか、僕がこの作品を楽しめたのは、これまでいろんなギャグ作品に接してきたからか。
「くり返しギャグ」「定番ギャグ」というものがあるということを知らない人間には、毎回同じシチュエーションがくり返されるのが手抜きに見えちゃうのか。(「お父っつぁん、お粥ができたわよ」や「まさかの時のスペイン宗教裁判」はもちろん、『タケちゃんマン』とか『仮面ノリダー』とかもすでに知らない世代なんだろうなあ)
「ストーリー、キャラクター設定がめちゃくちゃ」って、それはギャグなんだから当たり前だろって思うんだけど、小説をストーリーやキャラクターでしか読まない人間にはそれが分からないのか。
吉本新喜劇とかに対して「同じストーリーの繰り返し」と文句つけたり、『タケちゃんマン』『仮面ノリダー』に対して「ストーリーがめちゃくちゃ」なんて文句つける人間はいないはずなんだが、なぜ小説だとストーリー性を重視しなくてはいけないと思うんだろう? 不思議だ。
筒井康隆氏の初期作品の数々や、横田順彌氏の『宇宙ゴミ大戦争』や、かんべむさし氏の「決戦・日本シリーズ」などが大好きだった僕としては、こういうタイプの作品を普通の小説の基準で評価する読み方には納得いかないなあ。ギャグにはギャグの読み方ってものがあるんだよ。