クリプトムネジアの恐怖・1

 今回は、大半の人にとっては「恐怖」じゃないかもしれないけど、作家にとっては恐怖の現象を紹介したい。それは「クリプトムネジア」。

 まず、これを読んでいただきたい。ネットで検索していて、偶然ヒットした、2013年のニュースである。

栗本薫の短編小説「走馬灯」がイタリアにて映画化

http://sfwj50.jp/news/2013/07/somato-kurimotokaoru-movie-italia.html

 この記事、不自然だとは思われないだろうか?

 日本のSF作家の作品が映像化されたというのに、なぜか、かんじんの「走馬灯」の内容についてまったく言及がないのだ。

 まあ、イタリア人が知らなかったのはしかたない。しかし、ストーリーを書いてしまうと、日本のSFファンならみんなピンとくるだろう。

「これってまるっきり、星新一の『午後の恐竜』じゃん」と。

 ちなみに「走馬灯」は『S-Fマガジン』1988年2月号掲載作品。当時、僕はリアルタイムで読んで、唖然となったもんである。 無論、アイデアが同じであっても、ストーリーが違っていれば別の作品だが、「走馬灯」はそのアイデアが提示された時点で終わってしまうので、「午後の恐竜」に何も新しいものをつけ加えていないのである。

 原稿を渡された編集者も困惑したんじゃないかと思う。いや、当時存命だった星新一氏はどう思っただろう?

 さすがに『SFマガジン』誌上で意識的に星新一のパクリをやるとは思えない。おそらく栗本氏は意識して盗作をやったのではないと思う。

 これには二つの解釈がある。ひとつは、栗本氏は「午後の恐竜を読んだことがなく、まったく偶然に同じアイデアを思いついたのだという考え。

 実はアマチュア時代、1980年代初頭だったと思うが、こんなことがあった。あるイベントの直後、数人のSFファンが駄弁っていた時、一人が「今度こういう話を書こうと思ってるんだ」と言って、自分の思いついたアイデアを披露したのである。

 まわりにいた、僕も含む全員が、「それ、星新一の『午後の恐竜』だよ」と指摘したら、そいつは「えっ、もう書かれてたの?」と驚いていた。

 つまり星新一氏でなくても思いつくアイデアだということだ。

 以前、小説講座をやっている人から聞いたんだけど、作家志望のアマチュアの人にショートショートを書かせたら、「主人公が実は虫だった」というオチを書いてくる人がやたらにいるのだそうだ。主人公の一人称による描写で話が進み、最後に実は主人公がゴキブリだったとか、蚊だったとか判明するのだ。

 思いついた人は「斬新なオチだ」と思ってるかもしれないけど、そんなのは誰でも思いつく程度のものなんである。

> SFをはじめて書くきみが、やっと見つけたアイデア――そんなものは、とっくに、どこかのプロ作家が考えだし、書いてしまっているに、きまっているのだ。しかも、ずっとおもしろく、ずっとうまい文章で!

──筒井康隆『SF教室』

 筒井康隆氏の『SF教室』は、僕が中学の時に学校の図書室で借りてむさぼるように読んだ、いわば僕にとってのSFのバイブルである。この本で得た知識は多い。

 長らく絶版で入手困難だったが、昨年、『筒井康隆コレクション? 48億の妄想』(出版芸術社)に収録されたので、また読めるようになった。高い本だが、おすすめしておく。

 子供向けの本とはいえ、筒井氏の筆はまったく容赦なく、SFや創作について、あけすけに本音を書きまくってる。そのかっこよさ、今読んでもしびれる。

 特に秀逸だと思うのが、上記の「SFをはじめて書くきみが」なのである。

 身も蓋もない話だが、真理だと思う。

 特に僕らの世代には、上には星新一という巨人がいた。

 星さんがありとあらゆるオチを書いてしまっているから、何か思いついてもたいてい、「ああ、それ星さんのショートショートにあったよね」ということになっちゃうのだ。

 だからこそ、筒井さんの言葉が身に染みるのである。

(つづく)