『万里の長城は月から見えるの?』

 今年が終わる前に、ここ一か月のほどの間に読んだ面白い本をまとめてご紹介したいと思います。

武田雅哉万里の長城は月から見えるの?』(講談社

万里の長城は月から見える唯一の人工物である」

 もちろん間違いである。万里の長城は全長は長くても、幅は10メートルほどしかない。それを38万キロ離れた月から見るのは、幅1ミリの糸を38キロ離れたところから見るのと同じだ。見えるわけがない。

 本書は、明らかに誤ったこのトリビアガセビア)が、いつ頃からあり、どのように拡散したかを検証した本。デマや都市伝説の虚構を暴いた本はよくあるが、ただひとつのガセビアにこだわって掘り下げたという点でユニークである。

 このガセビアにはいくつものバリエーションがある。月面に立った宇宙飛行士の証言(言ったのはアームストロングだとかオルドリンだとかサーナンだと言われている)だとするものもあるが、実際は18世紀の文献にすでに見られるという。月だけではなく火星からでも見えるとする説もある。

 月ではなく「宇宙から」とするバージョンもある。しかし、高度400キロの軌道上から見下ろしたとしても、40メートル向こうの幅1ミリの糸を見るようなもので、まず視認は不可能である。ただ、太陽が低い角度にあって、長城が大地に長い影を落としている状態なら、その影が見えるのではないかという主張もある。(もっとも、実際に見た飛行士はまだいないらしい)

 特に広まったのは中国である。アメリカの宇宙飛行士が宇宙から万里の長城を見たとする逸話が、国語の教科書に載ったこともある。中国人にとって、万里の長城が宇宙からでも見えるというのは、大きな誇りだったのだ。

 だもんで、2003年、神舟5号で宇宙を飛んだ楊利偉飛行士が、テレビ番組で「長城は見えませんでした」と発言すると、大センセーションが起きた。教科書の記述を削除すべきかどうかで議論が巻き起こったという。本書にはその騒動も詳しく紹介されている。

 しかし、中国人だけを笑うわけにはいかない。日本の書籍やテレビ番組でも、「万里の長城は宇宙から見える」という話が紹介された例がいくつもある。もちろん欧米でもだ。有名なリプレーの『信じようと信じまいと!』にも出てくる。

 笑ったのは、19世紀なかば頃のヨーロッパには、「万里の長城など存在しない」という説があったということ。そんな巨大建造物など作り話だというのだ。今のように気軽に中国観光に行ける時代ではなかったから、実在を疑う者がいたらしい。G・N・ライト卿という人物がわざわざ、この「万里の長城はなかったろう論」を批判する文章を書いているほど。いつの時代、どこの国にも、副島氏のような人物がいたということか。

 著者はあとがきで、この本を「シロートの手慰みの仕事」と謙遜しているが、そんなことはない。巻末の参考資料一覧を見れば、著者が実に膨大な資料を調べまくったのが分かる。この熱意には頭が下がる。

 だって、『スター・トレック ヴォイジャー』からの引用まであるんだよ!(117話「蘇るジェインウェイ家の秘密」で、ジェインウェイ艦長とニーリックスの会話の中に、「(万里の長城は)21世紀までは、地球の軌道上から肉眼で見える、唯一の、人の手による構造物でした」というくだりがあるのだ)

 また、火星について触れたくだりで、ウェルズの『宇宙戦争』、バローズの『火星のプリンセス』あたりは当然としても、ハミルトンの「ベムがいっぱい」にまで言及されているのには、ちょっと感動した。しかも参考資料リストを見ると、この人、今では入手困難なハヤカワSFシリーズ版の『フェッセンデンの宇宙』で読んでるのだ。SFファンなんだろうか。

 著者の名前は記憶になかったんだけど、著者略歴を見て思い出した。あの『翔べ!大清帝国』(リブロポート)の人か! あれも面白かったなあ。